日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

二十歳のわたし

   
二十歳のときに書いた日記を読み返すことがあるのか、と聞かれたらそのタイミングは、きっといくらでもある。ただ、きっかけがなければそういう存在すら忘れてしまうくらいのものだ。

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ずっと気になっていたカフェで「二十歳のとき、何をしていたか?」と書いてある雑誌が目に止まった。数多くの肩書を持つ芸能人たちが、二十歳の頃を振り返るエッセイ本。

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こういう本を手にとると、決まって思うのが「わたしの二十歳は、どんな人だっただろう。」ということ。そういえば、今日は成人の日だ。二十歳の頃の記録を読み返すタイミングが、今日だった。

  
最近は、昔の投稿が日付さえ入力すれば振り返ることができて便利。わたしが二十歳だったとき、2014年。

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10月に始めた三つ目アルバイトは、今では店が変わって立ち飲み屋になった。フランス料理だった当時は、特別な人としか来ないって決めてたな。

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この年の夏にオーストラリアに少しだけ滞在して、家族以外の家族と呼べる存在に出会えた。今では、一番歳の近かったショーンが結婚式の写真をあげていた。そういえば、学生団体の代表を任されることが決まった年でもあった。ここから、今でも関わり続けてる大事な大事なメンバーとも出会えた。

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思い返せば、色んなことの「ひろがる年」が二十歳だった。

   
あれから六年間で、仕事も転職してプライベートの過ごし方も変化して、関わる人も変わった。整理されていくイメージ。大人になるって、こういうことなのかもって思える。あのとき思い描いてた二十六歳は、ずっと大人に見えてたけど、今の自分は自分で結構好きでいられてる。

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最近は、ウォーキングが習慣になりつつある。仕事では、尊敬している先輩に嬉しい言葉をいただいた。任される仕事と、できることが確実に増えてきた。美術館や個展に行って、アートに触れる時間が増えた。地元のために動けてきてる。それでいて、そのプラスな循環を継続できてる。自分と向き合う時間が確保できてる。

   
思ってたより出来ていないことも多いけど、こうやって書き出してみると良い感じに進めてる気がする。最強で最高な自分に近づいてる。

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うまくいかないことがあっても、乗り越える自信が持ててる。圧倒的な味方、愛に溢れてる人が近くにいるって実感できるのって強い。ずっとずっと、なりたい自分に向かって歩み続けられる。これまでの選択に間違いがなかったと思える。だから、これからに期待していける。と思えてる今を、メモリアル。

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二十歳のわたしに伝えたいこと。

もがいて、もがいて、もがいて進んだ道に、間違いはなかったということ。どんな選択も、正解になる。迷ったとしても、どんな自分が好きかを思い描くって大事。

  

なりたい自分になれるかどうかは、周りじゃなくて自分の意思で決まってる。弱くてもいいし、情けなくてもいいし、うまくいかなくてもいい。そっちの方が人間くさくて、誰よりも人生濃くなっていい。エブリデイハッピー!悔いなき人生を!

    
2021/01/11

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