日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

決められるのは、本人だけ

ずっと「井の中の蛙」みたいになることを恐れていた。小さい頃は何にでもなれると思っていたのに、だんだん等身大のカタチが見えてきて「そうでもないわたし」が目の前にいた。目を背けたい、そう思っている自分にすら、嫌気がさしていた。

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なんとなく、好きな自分でいれたはずなのに「何を伝えたいの?」と聞かれたら、何と答えたらいいか分からなかった。好きなことはあるけど、誰かに何かを伝えられる程のものなのか分からなかった。わたしだから出来ることなんてちっぽけなことで、やりたい事をやりたいようにしているだけだ。

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自分がやっていること。他人から見れば「すごい」と言われるものなのかもしれない。「なんだ、その程度か」と嘲笑われるかもしれない。きっと、気にしたらキリがない。そんなの、誰に見られるかで変わってくるし、決められるのは本人だけだ。自信があるかどうかとか関係ない気がする。

   
確固たる自信とかっていうのは、きっと周りの人に依存してる。自分なりに全力を尽くして、ひたすら一所懸命にやるだけなんじゃないか。周りの人がそれをみて、自信を持っているように思ってるだけ。やっていくうちに、「これだ」って言い切れるものが出てくる。そう思えるようになった。

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長期休みの間に、「文章をもっと書きたい」と、憧れのウェブサイトに連絡をしたら「そんなに焦らず、もっとじっくり自分と対話してからお願いしたい。」と見送られた。出鼻を挫かれて落ち込んで、でも今の自分に必要な本を教えてもらった。

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これまでと変わらないペースで、文章を書きながら「地元にコミットした活動をしたい」と人と会った。そうしていく内に「誰かの人生に寄り添った文章を書きたい」っていうのが出てきた。そしたら、書く場所を作ってもらえる話が出てきた。関わりたいと思っていた人達と企画や運営するのにも採用されるようになった。自分なりに動いて、足を止めないことが大切なんだと改めて思った。

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学生の時に立てた人生プランは、今の仕事には二十八歳から就く予定だった。自分の人生だけを考えて動く期間と、家庭を持って誰かとの人生を歩む期間とかっていうのと、大切にしたい周りの人達の年齢も踏まえて立てた計画。あれだけしっかり考えていたのに、見返してみれば、ほとんどのことが予定通りにいってない。

   
お爺ちゃんの体調が悪くなって、三年早く地元に戻ってきた。予定とは全然違うけど、「なりたい自分」に向かって動いてることには変わりないし、後悔はしてない。計画を立てていたことで、自分の選択を振り返ることができた。世間体を気にして、自分を否定的に見てたって何も変わらないと思った。目の前のことに対して自分がどうしたいか。

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井の中の蛙、大海を知らず」には、続きがあったことを少し前に知った。「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。」自分の理想を掲げた上で、どう動いているか。期限は定まっているか。むしろ自己満足だからこその味が出るのかもしれない。周りなんて気にしてられない。ただ動く足を止めないこと。走ってもいいし、歩いててもいい。

  

2020/08/30