日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

この人みたいになりたい

数年前。東京で出会ったあの人に、ちょっとは近づけてるのかなって思うことが増えた。きっと、目の前の物事がうまくいっていないからだと思う。あのとき、ずっとずっと大人に見えていたあの人と同じ歳になった。憧れの存在との距離感をもう一度見つめる。言葉だけで綴る。    

_

     
六年前に線も何も無いノートに、殴り書きをしてた自分なりの数年後の計画を見つけた。思っていたより早まっていること、全然遅れていること。どっちもあって、安心してる自分がいた。思ってた通りじゃないからこそ面白いんだろうなってなった。

   
仕事に生かされてるなって思ってるし、思った。改めて、この仕事してて良かったって思った。全然まだまだだけど、最高な仕事してるんだなって実感できた。

    
思うようにいかなくて、自分の能力に歯がゆさを感じるてもどかしくって、どうしたらいいのかわからなくなって。それでも職場で評価をしてもらえるようになったし、仕事を任してもらえることも増えた。ありがとうと言われることも最初と比べたら、ずっと増えた。

     
こんな大人になりたい、と言ってくれる人が年を重ねるごとに居てくれる。あのときの自分と同じように「この人みたいになりたい」と思われるようになった。誰かの憧れになれたことが嬉しい。わたしもがんばろうの活力になる。エネルギーをもらえる。その人の言うわたしと、今のわたしはどうなんだろうと距離を見つめる。

    
なりたい自分になれているのか。そこに近づこうと努力しているか。口だけで終わっていないか。今は好きな自分であり続けてるか。

    
頼まれごとは、試されごと。そんな風に、思うようになった。任されることが嬉しかった。これまでの自分と今の自分が、点と点だったのに振り返ったら一直線で繋がってた。のびしろ、変われそうなとこ、変わらないとこ。もっともっと自分を見つめたいと、思った。

    
そんな風に思ってたタイミングで、記事を読んで見つけた言葉がしっくりきた。

 


「被害者意識を持つと、加害者が生まれてしまう。加害者が生まれると憎しみや執着が生まれる。そうやって嫌いな人ができると、意識するから自分自身が苦しくなる。人の幸せなんて、その人が創り出すものだから自分が幸せと思ったら、それが幸せ。」

    

    
自分は自分で幸せにするもの。誰かが勝手に決めるものじゃない。だからこそ、好きな自分であり続けたい。そのために努力する。数値化して、具体化して抽象化して汎用する。もっと広く、もっと深く、ありたい。

   

今の職に就けるかどうかの合否の発表から一年。「この人みたいになりたい」と思った理想に少しでも近づけているといいな。

     
2019/09/14