日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

二十歳のわたし

   
二十歳のときに書いた日記を読み返すことがあるのか、と聞かれたらそのタイミングは、きっといくらでもある。ただ、きっかけがなければそういう存在すら忘れてしまうくらいのものだ。

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ずっと気になっていたカフェで「二十歳のとき、何をしていたか?」と書いてある雑誌が目に止まった。数多くの肩書を持つ芸能人たちが、二十歳の頃を振り返るエッセイ本。

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こういう本を手にとると、決まって思うのが「わたしの二十歳は、どんな人だっただろう。」ということ。そういえば、今日は成人の日だ。二十歳の頃の記録を読み返すタイミングが、今日だった。

  
最近は、昔の投稿が日付さえ入力すれば振り返ることができて便利。わたしが二十歳だったとき、2014年。

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10月に始めた三つ目アルバイトは、今では店が変わって立ち飲み屋になった。フランス料理だった当時は、特別な人としか来ないって決めてたな。

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この年の夏にオーストラリアに少しだけ滞在して、家族以外の家族と呼べる存在に出会えた。今では、一番歳の近かったショーンが結婚式の写真をあげていた。そういえば、学生団体の代表を任されることが決まった年でもあった。ここから、今でも関わり続けてる大事な大事なメンバーとも出会えた。

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思い返せば、色んなことの「ひろがる年」が二十歳だった。

   
あれから六年間で、仕事も転職してプライベートの過ごし方も変化して、関わる人も変わった。整理されていくイメージ。大人になるって、こういうことなのかもって思える。あのとき思い描いてた二十六歳は、ずっと大人に見えてたけど、今の自分は自分で結構好きでいられてる。

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最近は、ウォーキングが習慣になりつつある。仕事では、尊敬している先輩に嬉しい言葉をいただいた。任される仕事と、できることが確実に増えてきた。美術館や個展に行って、アートに触れる時間が増えた。地元のために動けてきてる。それでいて、そのプラスな循環を継続できてる。自分と向き合う時間が確保できてる。

   
思ってたより出来ていないことも多いけど、こうやって書き出してみると良い感じに進めてる気がする。最強で最高な自分に近づいてる。

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うまくいかないことがあっても、乗り越える自信が持ててる。圧倒的な味方、愛に溢れてる人が近くにいるって実感できるのって強い。ずっとずっと、なりたい自分に向かって歩み続けられる。これまでの選択に間違いがなかったと思える。だから、これからに期待していける。と思えてる今を、メモリアル。

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二十歳のわたしに伝えたいこと。

もがいて、もがいて、もがいて進んだ道に、間違いはなかったということ。どんな選択も、正解になる。迷ったとしても、どんな自分が好きかを思い描くって大事。

  

なりたい自分になれるかどうかは、周りじゃなくて自分の意思で決まってる。弱くてもいいし、情けなくてもいいし、うまくいかなくてもいい。そっちの方が人間くさくて、誰よりも人生濃くなっていい。エブリデイハッピー!悔いなき人生を!

    
2021/01/11

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2015

タツをみんなで囲んで話すひと時が幸せで、毎年こうやって過ごせるというありがたみが、年を重ねる毎に感じるようになりました。もう年末ですね。振り返ろうと思っていた帰省先に向かうバスの中では爆睡しちゃうくらい睡眠削っちゃうくらい楽しい毎日です。これは毎日ハッピーって言ってきただけある。

   

はてさて。今年を表すなら何と言えばいいでしょうか。まとめて言うのって簡単なようで、表現する能力が乏しい私にはパッと思い浮かばない。一年を振り返ると何から書けばいいのか、何を残しておきたいのか、出来事やそれらを表す言葉を選ぶのが難しくなってくる。いや、難しいっていうより書き残したい事が多すぎて溢れ出ちゃう感じに近いのかな。
  

  
出逢いも別れも、出来事も感じた事も、全部全部多かった一年でした。

   
なんか、こういう時に具体的な出来事を話した方が良いのかもしれないけど何から書けばいいのか。ひとつひとつピックアップして書いていくのもいいけど多すぎる。いざ、書こうってなるとただシンプルに「充実した一年でした」になりがちで、でも今回はそれだけでは終わらせたくないのでまとめて書きたい。更に言わせれば、それと同じくらい「ありがとう」って伝えたい人が沢山いる。うん、前置きがとっても長い。

   

まず一番に伝えたい事。今年は誰にも変えられないがくらい大切な存在に囲まれて過ごす事が出来た一年でした。唯一無二ってこういうこと。月日とか関係無いくらい、かけがえのない存在が何人も出来ました。笑ったり泣いたり、もうどうしたらいいかわからんってなったりラジバンダリ。そんな時に近くに毎回人が居てくれました。「しんどい」と感じた時に周りに人が居てくれるって本当に救いになって、何も言わずに差し入れをくれたり飲みに誘ってくれたり。本当に本当に感謝してもしきれません。誰なのか名前挙げきれないので「自分かな?」と思う人、「そうです貴方です。」の一言と一緒に割愛します。そして、そんな存在に私もなろうと思った。自分ひとりでは生きていけんって事は勿論これまでも感じてた事だけど特に気付かせてもらったな〜〜、うん。
   

  
そんな素敵な周りの人に囲まれて、楽しいだけは語れない素敵な、そんでもって特別な空間をいろんな場所で何度も何度も経験させてもらった。思ってた通りのこと、想像以上だったこと、期待し過ぎていたこと。色んな事があったけど全部全部繋がっていて、これまでの経験があっての今の自分があるんだなと思う。その時は分からなくても、それはそれでいい気がする。
   
これまでは、この考え方がその場任せな気がして物凄く嫌だった。でも本当に様々な場面に直面したことがキッカケで、考え方が変わった。分からないなりに、もがいて今しか感じられない感情を存分に味わって後から冷静に捉えられるようになったらいいんじゃないかって思えるようになった。これが二つ目に残しておきたいこと。

 

全部全部迷ってよかったって思えるくらい今の自分の糧になってるから多分迷ったり悩んだりって大切だと思う。これが正しいかどうかなんて、わからないけど今年、自分の中で出た考え方。

書きたい事が多すぎる余りに、まとめるのが下手です。というかもっと書きたいと思ったんですが長々と書くくらいなら直接会って話したいのでご飯に行きましょう(というか飲みに行きましょう)

2015年ありがとうございました。
おかげさまで素敵な一年になりました。感謝してもしきれない程、沢山の方にお礼を言いたいです。出会えてよかったって思える人ばかりです。本当にありがとうございました。来年も宜しくお願いします。


ここまで書いても分からない。今年を表すなら何と言えばいいでしょうか。日本語って難しいですね。コタツの中で、じっくり考えてみようと思います。


それでは、よいお年を。

   

と、ここまでが2015年に残していたこと。結局起きたことは違っても、節目に伝えたいことは同じなんだなと感慨深くなる。コロナで色んなことがあった2020年。今まで以上に、出会いや出来事が濃くなって、今となってはエネルギーが爆発してる。未来の自分にワクワクできる今を過ごせるようになってる。今の自分の方が好きだし、周りにいてくれる人も最強になってくれてる。


センキュー フォー エブリシング

2020/12/31

必要なこと

別れたということ、別れる前の気持ちと、後の気持ちをメモリアル。日記帳に残してたけど、このブログには全て記録しておきたいから残す。いつか見返したときに、懐かしめる余裕があればそれでいい。整理する。


八月

電話できる?って改めて聞かれると「別れ話かな」ってすぐ思ってしまうくらいにはメンタルが、不安定になってる。この間、会いに行ったとき彼に無理をさせてしまった。夏休みを有効に使いたい、直接見てインテリアを考えたい、その中で少しでも会えたら嬉しいなという軽い気持ちで訪れたけど、たくさん気を使わせてしまった。だけど、手を繋げるだけで幸せだった。


帰ってきてから、一週間くらい連絡を取らなかった。どちらかが忙しいと大体こうなる。でも突然、電話できるかと連絡がきた。確実に、自分の存在が彼にとってマイナスだと分かってたから怖かった。しかも生理で頭痛もすごいし、メンタルもへろへろになっちゃうし、困る。電話をする勇気が出ない。


しばらく話し合って、気持ちも伝えて、それから聞いて、別れるかたちになった。彼にとっての私の存在が、プラスではなかった。その一言に尽きる。でも、別れたくなかったな、やっぱり。

 

こうやって人は崩れていくんだと虚無感でいっぱいになった。糸が切れて、全てが無くなったような感覚。眠ろうにも眠れなくて、ご飯も入らない。泣き過ぎて鼻の皮がむけた。頭が痛いと思って薬を飲んだら、吐き気が来て負の連鎖でしかなかった。もういっそのこと倒れちゃえとすら思った。別れたことを、良い選択だったと思えるときはくるのかな。

九月


毎日より戻したいってしか思わないくらい、別れたくせに好きな気持ちが増し増しで情けない。未練タラタラ。でも月末には、今の気持ちも変わってるかもしれないって思いながら日々を過ごしてる。やるべきことと、やりたかったことが同時にやってきてる。チャンスを生かしたいし、自分を変える良い機会なのかもしれない。わたしは、わたしで動くしかないんだと思う。きっと、彼も彼で動いてる。それが、平行線のままなのか、いつか交わる線なのかを知れたらいいのにな。


彼のことを好きでいる自分も、好きだった。モテモテになってやる、人として。魅力的になってやる。外面も内面も最強になる。そして、わたしと付き合ってたこと自体をプラスだと思ってくれたらいいな。前に進もう。とりあえず、一旦友達との慰安旅行までに、自分のレベルを上げていきたい。


楽しみだった旅行。予想以上に全てが最高で、幸せだった。そこでも全部一緒に来たい、一緒に見たい、一緒に味わいたいなんて思ってしまった。どれだけ痩せても、見た目を褒められても、中身を褒められても、結局ダラダラと思い続けてる自分が情けなかった。

 

「別に、連絡してもいいんじゃない?でも、彼は距離を置きたくて別れたんだよね」と言われ、我に返って何度も連絡するのを辞めた。これ以上マイナスな存在にはなりたくない。


きっと忙しいを理由にしていただけで,気持ちなんてとっくに離れていたのかもしれない。わたしは彼のことが好きなままだけど,向こうにとってはマイナスな要素がなくなって幸せかもしれない。仕事に力を入れて認められて、成功体験を積み重ねてスッキリしているかもしれない。そうだとしたら、わたしの存在は無かった方がマシ。離れて正解だし、そもそも寄りを戻そうなんてありえない。


十月

別れたくなかった。でも別れるしかなかった。そう思えるようになった。そのうち、別れたことをプラスだったと言い合える日がくるかもしれない。それから、いつの間にかお互いが、別の人と寄り添っているかもしれない。相手に同じ気持ちでいてほしいなんて思うのは、あまりにも図々しくて、自分勝手な感情なのかもしれない。


「縁があるなら戻る、縁がなければ新しい出会いがある。人は、そんなすぐには変わらないから自分をまず高めろ。」とふとしたタイミングで言われた。あわよくばよりを戻せたらと期待してたって、何も進まない。あわよくばなんて、そもそも存在しない。今は自分を磨いて、磨いて、磨く。わたしはわたしの道を進んで、自分の好きな自分になる。

 

十一月

毎日のように泣いていた日からは考えられないくらい、立ち直ってる。好きな自分で居続けるための努力を、習慣化できるようにもなった。


仕事で認められることが徐々に増えて、見たかった光景が少しずつカタチになってる。昨日の自分よりも今の自分を肯定できるようになった。仕事以外で、佐賀のためにもっと動きたいと思っていたら、関わりたい人達と一緒に仕事ができるようになった。やりたかった取材を何度もさせてもらえるようになった。ラジオっていうかたちで発信することが実現できるようになってきた。

 


全ては「うまくいかない」じゃなくて「いま必要なこと」。できることを、じっくりゆっくりしながら進める。積み重ねた日常が、気づけば自信に変わってきてる。全ては経験。次に生かせば良い。もっともっと、最高で最強のわたしになる。このままがんばる。


2020/11/01

タイムマシンがあるなら

「もしもタイムマシンがあるなら、過去と未来どちらにいく?」というよくある問いに、何と答えるだろう。最近、思ったことを整理しながら書く。

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相手に対して自分の思う全てのことがポジティブとは限らないし、それが全てネガティブに捉えられていることとも限らない。結局、相手が思っていることや自分が感じていることっていうのは伝えないと分からない。自分は自分で、どうしていきたいかの方向性くらいは決めておかないといけないなと思った。

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内容によって、相手によって、環境によって。コロコロ変わってたらキリがない。だからこそ、自分がどうしておくのか。どういう風に割り切っていくのかっていう線引きが大切だ。

      
どんな自分が嫌なのか。どんな自分だったら好きでい続けられるのか。たぶん、誰かとの関係を築いていく上で自分と相手をどこまで認めるかで関係性って大きく変わってくるんだろうな。

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これ以上もう出来ないってくらい全力尽くすことで、自分のことは認められるようになる。全力尽くしてダメだったら、もう頑張りようがなかったって思える。その上で、この結果が最終的に良い方向になるなら、結果的に「これでよかった」って割り切れる。正解がない世の中だからこそ、目の前に起きていることを正解だと思えるようにすることが大事なんだと思う。

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相手を認めるには、自分が思ってる以上に相手も考えて考えて行動してることを感じること。みんなみんなよく頑張ってる。だから明日も一緒にがんばれるって思うこと。そのために関わる。関わり続けて、感じてること感じたことを伝え合ったり労ったりしながら向き合う。  

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相手と自分を、同じくらい思いやるのがいい。もちろん、人によってそのバランスは変わってくるだろうけど。わたしは、相手を思いやることが出来てなかったんだと思う。自分のことしか考えられてなかった。

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うまくいかないことを、何かのせいにするのは簡単で。他責にしないで、まず自分がどうしていくのか向き合い方を考える方がずっといい。そして相手のことを思いやる。それでダメなら、自分がその程度の人間なんだと思うしかない。存在価値を実感する良いタイミング。自分の足りないところを感じて、反省する。そして変える。

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周りに支えられまくってるけど、その恩を自分が活躍することで返していきたい。自分のできることを増やして、最高で最強の自分になる。いまは、その助走期間なんだって奮い立たせてる。

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最近は、家で夜中まで仕事をすることが増えた。動画制作を依頼されて夜通し編集する日だってあった。職場では、新しい取り組みを提案して推進するようになった。平日でも、朝早起きして走るようになった。空いてる日を使って、習い事も始めた。関わりたかった地元の企画に、インターンとして関わるようになった。文章を書かせてもらえることになって取材に行けた。大好きなプリンを自分で作れるようになった。たぶん私は「これやってる自分最強じゃん」ってなれることをするのが最高のモチベーションなんだと思う。

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わたしは、わたしで動く。嫌いな自分でいるよりも、好きな自分で居続けるために動く。止まることは、衰退してるのと一緒。きっと同じように物事も、勝手に動いてる。それが平行線なのか、いつか交わる線なのか知るには自分だけの力じゃどうにもできない。あとは、流れに任せるしかない。タイムマシンがあるなら、きっと未来に行くだろうな。


2020/09/30

   

決められるのは、本人だけ

ずっと「井の中の蛙」みたいになることを恐れていた。小さい頃は何にでもなれると思っていたのに、だんだん等身大のカタチが見えてきて「そうでもないわたし」が目の前にいた。目を背けたい、そう思っている自分にすら、嫌気がさしていた。

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なんとなく、好きな自分でいれたはずなのに「何を伝えたいの?」と聞かれたら、何と答えたらいいか分からなかった。好きなことはあるけど、誰かに何かを伝えられる程のものなのか分からなかった。わたしだから出来ることなんてちっぽけなことで、やりたい事をやりたいようにしているだけだ。

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自分がやっていること。他人から見れば「すごい」と言われるものなのかもしれない。「なんだ、その程度か」と嘲笑われるかもしれない。きっと、気にしたらキリがない。そんなの、誰に見られるかで変わってくるし、決められるのは本人だけだ。自信があるかどうかとか関係ない気がする。

   
確固たる自信とかっていうのは、きっと周りの人に依存してる。自分なりに全力を尽くして、ひたすら一所懸命にやるだけなんじゃないか。周りの人がそれをみて、自信を持っているように思ってるだけ。やっていくうちに、「これだ」って言い切れるものが出てくる。そう思えるようになった。

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長期休みの間に、「文章をもっと書きたい」と、憧れのウェブサイトに連絡をしたら「そんなに焦らず、もっとじっくり自分と対話してからお願いしたい。」と見送られた。出鼻を挫かれて落ち込んで、でも今の自分に必要な本を教えてもらった。

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これまでと変わらないペースで、文章を書きながら「地元にコミットした活動をしたい」と人と会った。そうしていく内に「誰かの人生に寄り添った文章を書きたい」っていうのが出てきた。そしたら、書く場所を作ってもらえる話が出てきた。関わりたいと思っていた人達と企画や運営するのにも採用されるようになった。自分なりに動いて、足を止めないことが大切なんだと改めて思った。

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学生の時に立てた人生プランは、今の仕事には二十八歳から就く予定だった。自分の人生だけを考えて動く期間と、家庭を持って誰かとの人生を歩む期間とかっていうのと、大切にしたい周りの人達の年齢も踏まえて立てた計画。あれだけしっかり考えていたのに、見返してみれば、ほとんどのことが予定通りにいってない。

   
お爺ちゃんの体調が悪くなって、三年早く地元に戻ってきた。予定とは全然違うけど、「なりたい自分」に向かって動いてることには変わりないし、後悔はしてない。計画を立てていたことで、自分の選択を振り返ることができた。世間体を気にして、自分を否定的に見てたって何も変わらないと思った。目の前のことに対して自分がどうしたいか。

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井の中の蛙、大海を知らず」には、続きがあったことを少し前に知った。「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。」自分の理想を掲げた上で、どう動いているか。期限は定まっているか。むしろ自己満足だからこその味が出るのかもしれない。周りなんて気にしてられない。ただ動く足を止めないこと。走ってもいいし、歩いててもいい。

  

2020/08/30

メガネを外したら何も見えてなかった。

どんな人に魅力を感じるのか、その人のどこを見て憧れを抱くのか。学生のときにリーダーや副リーダー的ポジションを任されることが多く、必要のない「リーダー概論」という授業をとっていたことがある。

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仕事を愛して、家族を愛して、愛されている人。仕事ばっかりしていて身近にいる人を粗末にしていたり、恋愛に依存して判断軸がパートナーだけになっていたりするような人にはなりたくないと思ってた。

     
誰にでも気さくに関わることのできる人。経済力があるだとか、何かすごい人と繋がっているだとか。そういう世の中では評価される肩書きだけじゃなく「一人の人として」目の前の人と温かく関わる人に憧れた。

 

言行一致している人。やると決めたことは、自分の納得いくまでやり続けることのできる人。口だけの人間は嫌い。

   

表現者。エッセイでも、音楽でも写真でもアートでも感情を露わにして生きている人は誰でもカッコよく見えた。価値観はそれぞれで、感性が誰とでも同じじゃなくてもいいってところも好きだった。


五、六年前に憧れていた大人に、すこしは近付けているんだろうか。ふと、思い返した。近付けているといいな。

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最近は、前よりも感情の波が大人しくなった。悪い意味で、つまらない人間になっている。なりたい自分に近付けていると喜んでいながら、自己満足でしかない自分を俯瞰して見ていた。嫌気がさして「もっと自分を試したい」と思うようになった。

  
友人の言ってくれた「やらなきゃ生きていけない」思いから出来たものと、「やってみたら思いの外評判がよくて」と続けたものでは、全然違うと思う。

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今のわたしは、ある程度のやりたいことはやれている。仕事とプライベートの境界線を浮き彫りにして、自分の中のサイクルで回している。無理のない範囲で、心地よい流れを見つけたような気がしていた。

  
だけど、どこか心の奥の奥にいる自分がスッキリしない表情を浮かべているのは、小学生のころの自分が今の違和感を叫んでいるからだと思う。井の中の蛙なんじゃないかって。

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自信満々で過ごせていたのは、無知だったから。何にでもなれると思っていたのは、周りが見えていないから。あたかも自分が天才かのように思い込んで、勘違い野郎になりさがっているんじゃないか。

   
メガネを外したら、視界がぼやけて何も見えなかった。自分の視力に合わせたレンズで見てる世界は、見やすいのが当然と言われたような気がした。そんな色眼鏡を外せば現実は、ぼやっとして何も見えていない。

   
なりたい自分になれている気がしていたのは、なれそうな自分に近付こうとしたからなんじゃないか。自己満足の世界でしか生きられない。それならたくさん自分を試せばいい、最初から上手くいくわけがないとも思った。

   
外枠ばかりを見て、中身がなかった。見た目だけを気にかけて、味付けを何もしていなかった。「何をしたいの、何を伝えたいの、何が出来るの。」自分に問いかけるたびに、中身の無い人間だと思った。図星だったから、言われたわけでもない「中身の無い人間」というワードを頭の中に浮かべてはショックを受けていた。

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迷っていたって世の中は進んでいる。やれない理由ばっかり拾う自分はダサくて嫌いだ。できるかどうかは、やってから決める。長い目で見れば、きっと「今の出来ない」も「できる」に変わってくはず。ダサくて情けなくて、もがいて苦しんで人間らしく生きる。

   
仕事を愛して、家族を愛して、愛されている人。誰にでも気さくに関わっている人。言行一致している人。表現者。あのとき憧れていた大人には、今でも憧れがある。

  
何をどうしたら「なれたぞ」と確信をもてるかの基準もなければ、きっとその判断軸も感覚でしかないけど。「なりたい」と思う人達だったらどう動くのか重ねて、ひとつひとつ見つけたい。


先月から来月にかけて、沢山の人と関わる機会を作ってもらえた。言われた言葉と、その言葉の背景。その人が見た世界に想像力を働かせて「その人」がどんな人なのか知りたい。

   
広げて絞って重ねて切り取って。自分のテーマを見つけたい。そのためには、まだまだ思考が足りない。見つめよう。

   
2020/07/29

 

エブリデイハッピーとか毎日言ってられない

数ヶ月間のコロナウイルスの影響がプラスにもマイナスにも起きてる。どちらかというと、わたしはプラスに働いていたと思う。

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世の中が自粛期間だったとき、毎日のように出勤して、プロジェクトリーダーを任してもらえた。それをメディアに取り上げてもらって、今年は自分のやってきたことの集大成の年なんじゃないかと思える日々だった。毎日「今日も、わたし、よくがんばった!」と言い聞かせてた。

   
とは言っても、実際に動き出したらわからないことだらけだったし自分のできなさが露呈していくばかりだった。それなのに周りに頼るのが迷惑をかけるように感じて、もっと自分のできることを増やそう増やそうとした。任されれば任されるほど、期待以上のもの返したいと思った。その感情とは反比例して、キャパの小ささが見え隠れして、日々自分が情けなかった。

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そのときに、同期からハッとさせられたことがあって。「自分ができるようになる」ことよりも「自分がいなくてもできる環境を整える」ことの方が大切だということ。その場からいつかはいなくなることを見越して、チーム全体が自主的に動き出す仕組み作りが大事だった。

   
あとは、新しい取り組みをするとき。努力は大抵報われないということを前提で、何度も挑戦し続けること。ある意味で期待せずにいることで、「できること」「できないこと」「できるようになりたいこと」の線引きが前よりできるようになった。ネガティブなことだって多いだろうけど、わたしにとってコロナウイルスはたくさんプラスに働いた。

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プライベートでも、「やってみたい」をやっていく中で新しいコミュニティに招待してもらった。これまでは否定的にみていた人が「どうやってそんな考えになったの」と価値観に興味を持って連絡してくれるようになった。周りがどうとか、そういうのよりも「なりたい自分」になるためにどう動くのかっていうのが大切なんだと思う。

   
なりたい自分に近づくための一歩を、一緒に歩んでくれる人もいる。自分が自分で、生き生きとしているのを実感した。なりたい自分になるって、最高に気持ちがいい。

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たぶんレベルの低い話で、自己満足だとも思う。それでも、自分が自分を好きでいるってだけでいい。自分で決めて、スピード感もって行動して、じっくりしっかり結果を見つめる。分析する。抽象化して、具体化して落とし込む。100%満足しているわけではないから、変化も必要になるけど。それでも、毎日ごきげんでいれる。

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なにかを期待していると、そうでないときに勝手に不機嫌になる。自分に対しても、誰かに対しても、何かに対しても同じことが言えると思う。正直「期待しない方がマシだ」とか言ってたとしても心の中ではどこか期待しているもんだし、それくらいがちょうどいい気がする。欲がありすぎるんだと思う。

   
自分の中での「ここまで」というライン引きをしっかりしておけば、大抵のことは乗り越えられると思ってる。ブレない何かを貫いていけば、信念とか軸とかになる。拘らなくていいところは、ゆるく受け止める。全てを自分の思い通りにしようとするから「うまくいかない」が続いてく。魔法使いでもなんでもないってこと、早く気づけたらいいな。そうしたら、もっときっとうまくいく。

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コロナウイルスに限らず、起きている事実をどう捉えるかは、自分次第。苦しいとかしんどいとかは、信頼できる人頼らせてもらって壁は乗り越える。どんな出来事も、起きたことは仕方ないって割り切って、大切なところだけ切り取ったら後は全部ポジティブにいきたい。

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エブリデイハッピーとか毎日言ってられないくらいハードモードだけど、みんな毎日たくさん頑張ってる。少しでも、相手と自分を同じくらい大切にできる世の中になるといいな。それと、何かを誰かのせいにしない。起きたことは起きたことって出来る限り、割り切る。

  

みんな見えてないだけで、たくさん感じて考えて動いて乗り越えて生きてるんだぞ〜って思ったら、なんだか私もがんばれる。毎日ほどよくマイペースにがんばるぞ〜〜〜!お〜

        
2020/05/29