日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

誰かにとっての正義が、誰にとっても正義になるとは限らない。

この間、一年ぶりに友人に会った。考え方が深く、ひとつひとつが慎重で丁寧な人。そんな彼に「人生において大切な力は何だと思う?」と聞いたら「想像力」だと言った。そしてわたしは、「コミュニケーション能力だと思っていた」と伝えた。「同じだね」と言われた。一年ぶりに再会をした友人と話して考えたことメモリアル。

   

f:id:tnzoe3:20200127220603j:image

________________

    
‪誰かにとっての正義が、また別の誰かにとっては悪になることだってある。わたしにとっての正解が、相手にとっては不正解になることもある。その逆も、もちろんある。

    
頭の中で無意識にこびりついた「こうあるべき」とか「普通こうでしょ」っていう、自分のモノサシだけで判断する。その結論を出すまでに、どれだけ相手のことを考えたんだろう。

f:id:tnzoe3:20200127220756j:image

________________

    
前から、感じたことを言葉にして残すことが好きだ。感情を整理するだけの、誰のことも考えずに書いていくのが好き。楽しい時間は、そのときのわたしが言葉や写真で残していたい。もがいて苦しんだ記憶は、忘れないように記録しておきたい。すべてのベクトルが自分に向いているから、好きなのかもしれない。

   
前にも書いたような気がするけど、過去に仲の良い友人がわたしのブログがキッカケで、これまでの関係が崩れたことがある。その記事には「感情に素直に動けばいい」みたいなことを書いていた。そこに関しては考え方は変わってはいないけど、そのことがあってからずっとモヤモヤしていた。

f:id:tnzoe3:20200127220825j:image

          
わたしが好きだったあの時間は、知らない間に友人に無理をさせていた。楽しくて仕方なかった空間は、友人にとって苦しくて辛い空間だったのかもしれない。

    
知らなければ楽しく過ごせていたものが、知ってしまったことでうまく関われなくなった。知ったことで離れてしまった関係だけど、知らなければ無理をさせ続けるところだった。離れるものは離れると思いながらも、離れられていないと足掻く自分がいた。

    
誰かにとっての正義が、イコール誰にとっても正義とは限らない。どこか、ずっと心の中にその言葉が残っていた。その時のわたしは、きっと想像力に欠けていた。自分しか見ていなかった。自分さえよければ世の中が輝いて見えた。苦しめていた。

f:id:tnzoe3:20200127220701j:image

     
自分のことしか考えていない自分が大嫌いで、浅はかで情けなかった。「書かなければよかった」と何度も思ったと話しながら彼の方を見たら俯いていた。

    
そして「表現ってさ、自由に表すからいいんじゃないのかな。あと一言一句、すべてに責任もつなんて無理だよ。」と言った。スッと心が晴れた気がした。

      
「誰かのために、何かをすることも選択肢としてあるけど、自分のために、何かをすることが誰かのためになることもあるのかもしれない」と思えた。

f:id:tnzoe3:20200127221027j:image

   
都合のいいように捉えてるだけかもしれない。だけど、それでもいいと思わせてくれる人がいるだけで充分なのかもしれない。周りの目ばっかり気にしてたって生き辛いだけだ。また同じことを繰り返すかもしれないけど、今はそれでいい。そう思える。

    
___bgm__________________________

   
本当に足りないものなんて 実はそんなに無いんじゃない? 僕はこれだけで十分なのにこれだけじゃ駄目ですか 周りと持ち物比べて 色々と欲しくなって 人の目がそうさせるのか これだけで十分なのに。

   
これだけで十分なのに/TOCHHI

https://youtu.be/9BIvJQWKAnY

    
______________________2020/01/27__