日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

たとえば、誰かに対して思うことがあったとして。

寒くなってきて、白い息が出るようになった。外が暗くなるのは、早くなった。冬を感じる季節になってきた。十二月に思ったこと。

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たとえば、誰かに対して何か思うことがあったとして、それを相手に伝えるか伝えないか。どちらを選ぶだろう。

      
その「何か」は何かに対する不安だったり、抑えようのない苛立ちだったり。立ち直れないほどの悲しさだったり、伝えるほどではないかもしれないと迷うほどの小さな不満だったり。そういう感情のすべてを伝えるのが正しいことなのか。

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もしかすると正しいかどうか、そんなの本当はどうでもよくって、「これでいい」って思えるような決断の後押しがほしいだけなのかもしれない。きっと、そのときには何がいいとか分からないし、そんなもの自体ないのかもしれない。

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当時、不正解だと思っていたことが、何かの拍子で正解になることだってある。何かの選択を正解にするかどうかは、どう捉えるのかとか、それらを決めるタイミングとか色んな背景があるから一概には言えない。「時と場合による」と、ふわっとして終わる。

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「伝えない」選択をする。「伝えるだけのエネルギーがもったいない」「言ったところで変わらない」「相手の人生だし、その人が決めることだから関係ない」「伝えることで、気まずくなりたくない」

  

きっと目の前の関係を壊すくらいなら、思いをぶつけない方が楽だ。

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「伝える」選択をする。「思ってることを自分の中だけに留められない」「何かが変わるかもしれない」「これからの関係をよりよくしていきたい」「相手に任せるんじゃなくて、自分が出来ることはしておきたい」

  

伝えることは、相手の反応次第で、どうにでも転ぶことになる。ある意味、信用という名の賭けなのかもしれない。

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伝えるにしても、思ったその時に伝えるものなのか。感情的にならないように、しばらく経って落ち着いてから伝えるものなのか。それも相手によるものだろうし、伝え方にもよるんだとは思う。

   
伝えたからと言って、思っていた通りに伝わるわけでもない。伝えなかったからと言って、全く分かってくれないというわけでもない。これも「人による」という一言でまとまってしまう。

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でも、どうして「伝えるかどうか」を迷うのか。考えて考えて、考えるのか。もしかすると、自分の中で「大切なこと」だと感じているからなのかもしれない。大切なことだから、しっかり考える選択をとる。迷う選択をしてる。どうでもよければ、何も考えないで動いてる。
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迷うとか、考えるとか。苦しいとか苛立つとか悲しむとか。そういう感情こそ、自分の中の大事なところなのかもしれない。そういうことをぶつける人こそ、大事な存在なのかもしれない。

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どうでもいい相手になんか、迷ったりしない。どうでもいいことになんか、悩んだりしない。自分にとって、マイナスに見えることの方が実は大事だったりする。向き合えてよかったと思えた十二月。考えたこと、思ったこと、感じたことのメモリアル。

  

2019/12/15