日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

「大好き」と言い訳して、目を背けていた話

    

最近というには少し遠すぎるくらいの時期に、「辞める」という決断をしました。決めて断つ、断つと決める。色んな捉え方がある「決断」をした。もう、お手上げだった。

 

弱さを残すことも、強さなのかもしれないと思って記録する。やっと気持ちの整理ができたのかもしれない。ほんの少し前の話。

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「青春だな~~~」っていうのが口癖になるくらい毎日が充実してた。充実というより「青春だな~~」の一言で目の前にある苦しさを誤魔化してたのかもしれない。友達を目の前に、いつのまにか所構わず泣きじゃくっていた。

     

毎日毎日見えない何かに追われていて、弱い自分を押し殺そうとしていた。苦しくなる度に自分がやらなきゃ誰がやるのかって動いた。「甘えるな、迷惑をかけることになる」と言い聞かせて向き合おうとした。任されたからこそ、その期待に全力で応えたいと思っていた。

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 でも「もう動けない」が正直なところだった。ある意味、動けないと自分で決めつけていたのかもしれない。もう、自分に余裕がなさ過ぎてそれすらも分からなかった。弱い、弱い、弱い。

              

自分を見失いそうになる、というのはこういう感覚かって思った。どの自分が本当の自分なのか検討もつかなかったし、何が自分にとって一番大切なのかも分からなかった。向き合い方が分からないというより、向き合う時間を作ろうとしていなかった。向き合った先に、光がさしてくるようには到底思えなかった。

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その時は「曖昧だから苦しくなっていて、ちゃんと向き合えていないから苦しくなるんだ」と言い聞かせていたけど、今はなんとなく違ったんじゃないかと思う。

    

きっと、「人が大好き」という言い訳が、現実から目を背けさせていて。関わり方とか優先順位とかを上手くつけることができず、自分を無視していたと今ならわかる。   

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本当に関わった人みんながみんなが大好きで、ずっとずっと大切にしていきたいと思ったのは事実だった。だからこそ出会ってくれて「ありがとう」っていうのが凄く大きくて、それを全力で返したいと思っていた。

    
人に恵まれているってよく言うけど本当にそうだと思ってたし、人に恵まれていると感じれば感じるほど、感謝の気持ちを込めて自分も動いていきたかった。

   

「出会った分だけ人に信頼されるくらいあれ」って自分の頭の中で何度も繰り返され、同時に自分が全く賢くもないし要領の悪さが露呈した。

   

 

      

結果として「全て中途半端」だけが残った。 

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皆のことが大好きだったし、これ以上にないくらいのキツいこの壁を乗り越えたら何か、自分が成長していく実感を持つことができそうだった。達成したあとには理想的な自分にグッと近づけるとも思ってた。それも、ものすごいスピードで。

   
でも、乗り越えられる余裕がなかった。お手上げだった。理想の自分とはかけ離れている自分だけが目の前にいた。

 

「苦しゅうないぞ」と誰かに言ってほしかった。色んなことに取り組んでいて、それだけの視野が広がる感覚も好きだったし、何でもやってる自分というのに誇りを持っていた。それが逆に変なプライドを持たせて、誰かに頼るっていうのがなかなか出来なかった。

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〝なりたい自分”が少し先にいる代わりに、目の前には〝なれない自分”がいて「ああ、どうしてこんなにも容量が悪いのか」と落胆の毎日で。すみませんすみませんばっかりで。

    

自分が小さく小さく見えた。先にいる自分は大きすぎていて、目の前にいる自分は想像以上にちっぽけだった。

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自分がリーダー的立場に立つことが今まで多かったせいもあり、「仲間が辞める選択をする」という苦しさを知っていた。

  

知っているくせに。任された立場があるにも関わらず。立場のある人間が辞めることがどれくらい周りに影響があるのか知っていながら。理由は幾つかあるとはいえ、「辞める」選択をするということは余りにも無責任で自分勝手な決断だとも思った。

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関係が無くなれば、次第に存在も薄くなる。
会わなくなって、最初から無かったことになる。でも気まずさだけは残って、、、っていうのが途轍もなく嫌だった。嫌われることが怖いというより「疎遠になる」というのが怖かった。

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自分の中で葛藤が何度も何度もあって、無い頭を自分なりに使って、ずっとずっと考えた。決断って苦しいなと毎日感じてた。

    

    

そのとき、救ってくれた言葉。


自分で自分をどこまで幸せにできるか、ということが、その人の価値だ。その価値というのは、自分で評価すれば良い。

他者を評価するときにも、その人と自分の関係で見れば良い。自分にとって良い人だと感じれば、それは良い人だ。尊敬できる人、好きな人、一緒にいて楽しい人、話をしたい人、などいろいろな価値があるはず。

  
自分にとって得るものがあれば、その人の価値がそれで測れる。逆に、そういう関係でなければ、価値がない人になる。 だからといって、その人を否定したり、非難するのは間違いだ。だいいち、そんな場合には、関係を結ぶ必要がない。無理に悪い関係を築く方がおかしい。非難したり、否定したりする以前に、遠ざかれば済む話である。”

 

    

なんだか心がスッと楽になった瞬間だった。

 

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「辞める」という決断をしてから約一か月が経った今日、初めてメンバーの人とご飯に行った。

   
会ったら会ったで、早速「最近どう?順調?」と状況を知りたがるし。というか別に状況を聞かなくても最近何があったかなんて無意識に把握していたし。何かある度に「きっと裏ではこういう動きがあってるんだろうな」とか勝手に憶測していたし。少し離れたところから見守るお婆ちゃんのような感覚だった。

   
久しぶりに会って、私はみんなの事がなんだかんだ大好きなんだなと改めて感じた。すごくすごく勿体無いことをしたのかもしれないけれど、あの決断は間違っていなかったと思える今があるから良かった。   

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自分で自分をどこまで幸せにできるのか。
今は最高に自分を幸せにできていると、胸張って言うことができるような毎日を送れている。

エブリデーハッピー

 

 

2016/09/26