日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

妹と姉のような存在

使っているシャンプーが同じとか、本棚にある本が似ていたとか、ちょっとした「同じ」や「似ている」ところを見つけるとグッと心の距離が近づいていくのが分かる。感覚が似ているかも、と嬉しくなる。名前は出さずに紹介する、自分の友人メモリアル四号目。

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気付けば彼女とは、三年ほどの付き合いになる。ひとつ下の後輩ちゃん。でも一緒にいると自分の抜けているところが、どんどん露呈していく。それくらい、しっかりしてる。とても柔らかくて穏やかで、一緒にいると心が弾んだり癒されたりするのが分かる。心地よい空間が、彼女と過ごす時間には必ずある。妹でもあり姉でもある、そんな存在。

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むかし流行った洋画「YES MAN」の主人公のように、頼まれたこと全てを受け入れて取り組んでいた時期に彼女とは出会った。いくつか所属していた団体のひとつだった。

  

    
三年前の六月、その学生団体のキックオフ合宿で、ひとりひとりが決意表明をする発表前に体調が優れない彼女を見たのが初めてだった。思えば、その時に似ていると思っていた。

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それから数ヶ月が経って、その学生団体は辞めることにしたんだけど、辞めてからの方が会うことが増えた。話すことも増えた。当時の恋愛の悩みや家族のこと、仕事のことや思い出。話せば話すほど、共通点が増えていった。数ヶ月に一度の頻度で会っていたけど、そんなの感じないくらいの時間だった。大事なのは、心の距離だと改めて思わせてくれた。    

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そんな彼女が、会っていない数ヶ月の間に体を壊していることを知った。会えるならと会いに行った。どんな悩みも、一緒に笑い飛ばして乗り越えようと思った。九州に帰ってきて良かったと思った。

    

シェフの料理の説明が少し長いくらい丁寧で上品なお店で、会っていない間を埋めるように夢中で話を交わした。知らないうちに、弱りきっていた彼女が目の前にいた。

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彼女の弱った理由は、ここでは書かないとして、この文章を読んでいる人は目の前で自分の大切な人が苦しんでいたらどうするだろう。

    
話を聴くとか経験談を話すとか、会いに行くとか出来ることが限られていて。自分の出来ることなんて、たかが知れていて苦しさを縁取って際立たせているようにさえ感じた。負の感情を倍にしてしまうかもと思うと、何も動けなくなりそうだった。でも、自分のエゴをエゴだと認めた上で、相手のために出来ることを最大限しようと決めた。それは悔しくも悲しくもあるけれど、等身大の自分でしか向き合うことが出来ないから。

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結局わたしが決めたのは、一緒にいる時間を少しでも長くいることだけだった。

   

以前、彼女は、わたしのことをブログに何度か載せてくれていた。「嬉しい」「楽しい」「幸せ」などの感情を包み隠さず、思い切り出せる相手だと言ってくれた。だったら今度は、例えそれが負の感情だとしても同じように思い切り出してくれと思った。

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朝、一緒に飲んだ紅茶はストレートだったのに、甘くて温かくて落ち着く味だった。特に何かが出来た訳では無いけれど、そういうホッと一息つけるくらいの癒しを与えられたらと思った。

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大切な存在であればあるほど、どうやって力になれるかと思考がグルグルして何も出来ないと嘆く繰り返し。でも、そういう時こそ等身大の自分で出来ることをするしかないんだなと改めて思った。そもそも、誰かのために何かをしようなんて烏滸がましい話だったけれど、少しくらいは役に立つ人になりたい。

    

2018/11/18