日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

日常の中にあった特別だったこと

日常に潜んでいる、あの特別感が好き。四年前から、日常的なことが特別だっていつも残してる。

       
誰かにとって「たかがそれくらい」で終わってしまうことに幸せを感じるようになるかもしれない。今はありふれている日常が、後になって愛おしくてたまらない時間になるかもしれない。

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もちろん特別なことは好き。嬉しい気持ちになる。それでも日常の中の特別には敵わない。そもそも当たり前のことは何ひとつとしてないし、いま当たり前になっていることがいつまでも続くとは限らない。

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というようなことを散々言いつつ、いざ今を生きようとすると先のことを後回しにしているような気持ちになっていた。淡々と過ぎていく時間を、たまに「ああでもない、こうでもない」と巻き戻したり早送りしたりしたくもなった。過去にも未来にも振り回されずに、今を生きるって、なかなか難しい。

      

そういえば、そういう気持ちを行ったり来たりして始めたのがこのブログだった。あとになってしまえば、綺麗に美化されるような名前のない感情すらも残しておきたい。残すことで、ひとつひとつ、その時を大切にできると思った。

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ブログもツイッターも、そういう色んなSNSに残そうと思った。日常を、残していきたい。そういうわけで、今年は日記を毎日書くと決めた。今のところ毎日書いている。続くか分からないけど、残していきたい。あと、写真にも。あ、絵にも。そうです欲張りです。

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ふと、前に残してきた「その時」がフラッシュバックしていくかのように残せたらいいな。過去の記録ラッシュで、わたしの日常の中の特別をフラッシュバック。

     
帰り道に見つけたタコ焼き屋さんにふらっと寄ってシェアして食べるドライブも、スーパーの駐車場に停まって大音量で映画館風に見る動画も、車の中から「あの雲はオニギリのかたちだね」って言い合う日常も全部好きです。

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見たかった映画はしっくりこなくて、偶然見つけた趣深めな建物はソープランドだったし、ラーメン食べたくて食べたつけ麺はあっさりしすぎてて最後までイマイチだったけど。公園でお酒片手に、これまでの事とか今後の話ができて良かった。

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寒い中コンビニとかに、おでんとかビールとかを好きな人と買いに行って、公園とかで座って話すの好きって話をしてたばっかりだから、とってもしたくなった。

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寒い寒いって言いながら両手で抱える「ほっとレモン」も、公園で座って食べる「淡麗とおでん」の組み合わせも、夜景と星の見える露天風呂帰りに行った「すき家」も好きや~!っていう駄洒落です。

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小さい子がカッパ着て長靴履いてお母さんと手を繋ぐ様子だったり、水溜りから見える世界だったり高校生が相合傘をしていたり、晴れの日と同じくらい雨の日は特別だったりする。

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春巻きの味が好きなのは勿論だけど、色んな具材を巻くっていう工程や食べるまで味が分からないみたいなプチイベント感が好き。小さい頃、お婆ちゃんと一緒に作ってた思い出まで浮かんでくるし、初めて知った時から春巻きがある夜ごはんって特別。

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どうやら食べ物が多く出ているらしい。わたしの日常は食べ物に囲まれているってことなのか。人に良いと書いて「食」であるだけあって、心にも身体にも良いなんて最高すぎる。


最近というところで言うなら、片目がストレスで赤くなったというトピックがある。あんなにしたいように生きていても、ストレスというのは感じるらしい。きっと、これもしばらく経つと笑い話になる。

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というわけで誰にでもあるようで、誰にでもないような、わたしの日常を綴ります2019年。

    

2019/01/15