日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

グルグルグルグルグルコサミン

最近頭の中でグルグルグルグルグルコサミンのCM並みにグルグルと離れてくれなかったモヤモヤのお話。長いよ、長編だよ。

  

 

人生っておかしなもんだね。誰かとすごく親しくなったかと思うとなんの理由もないのにだんだん離れていったりするみたい。

      

スヌーピーの言葉でこんな言葉があった。確かに、おかしなもんだ、と私も共感をしていた。

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これまでの関係、若しくは今の関係が、今後も同じように続いていたいというのは甘えなのかもしれない。流れている時間の感覚も違えば、環境も変わってくる。話題だって次第に噛み合わなくなるのかもしれない。

      

社会に出て、今までとは違う環境にそれぞれの生活に各々が馴染むようになったら、きっと休みが出来ても『数少ない貴重な休みの日を誰とどう過ごすのか』っていうので、どうしても会う人会える人が限られてくるのかもしれない。

    

でも、それが嫌だと大声で訴えかける自分がいる。卒業を目前にして、帰るよと手を引く親を横目に嫌だ嫌だと駄々をこねる幼稚園児に成り下がっているのかもしれない。

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知らない間に、周りの人間関係が変わっていることがある。それは、上に書いたスヌーピーの言葉のように「理由なく」離れたのかもしれないし、「理由があって」離れたのかもしれない。

      

あるいは、表面上は良好そうな関係でも上部でしか関わっていなかったり実はギスギス、なんてときだってあるのかもしれない。

 

ついこの間なんかは結婚指輪をしていても「奥さんはいるけど、僕の中では離婚しているんだよね」と会社の上司に笑いながら話す人だっていた。ずっと憧れていてキラキラしていた結婚指輪が、すさんでいるように見えたりもした。

   

   
そういう意味では「何も知らない」というのは、幸福なのかもしれないとも思う。何も知らなければ、自分の考え一つでいくらだって突き進める。自分の考えが一番だ、とでも言うかのように周りなんて御構い無しに。    f:id:tnzoe3:20161026172233j:image  

 

でもそれでいいのか、それで満足するのか、と聞かれたらそうでは無い。所詮、自己満足の人生なのかもしれないけれど、「周りを見えていない、主観でしかない」と感じた瞬間、自分のことも周りのことも冷めた目で見てしまう。この判断すらも主観なのかもしれないけれど。

    

そういった過去があったから、今こういう見方を意識するようになった。自分の主観だけじゃ駄目だと気付くような経験をしたから「自分がこうだった、自分がこうだから」といって周りに同じことを求めるのは押し付けである、と思えるようになった。選択肢を与えても、囲うと途端にそれはエゴになる、と。

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全く理解できない考え方と出会ったとしても、その考え方には同じように「これまで」があった上で構築されていて、他人が自分と違うのは当たり前であると視点が増えた。

 

自分と違う考え方に対して否定的だった私も、理解しよう理解しようとすればするほど知らなかったモノの見方とか捉え方とかに興味が湧いて、今よりずっと世界が開けてくるんじゃないかとワクワクすらするようになった。

   

やっぱり「視点が増えると見え方が変わってくる」というのは本当に感慨深いなと何度も何度も感じた。普段使っている地下鉄も、数百ページある企画書を一気読みしたら「こんなにも思いを込められた場所」として新たな見え方ができた。今までとは違う眼差しで色やデザインを見るようになったりして見え方がまるで違った。見え方が違うと価値観が変わる。見えない世界が見える瞬間が物凄く好き。

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そんなエブリデーハッピー!な私に「どうして、そんなに人を嫌いにならないのか」と仲の良い友達から聞かれたことがある。それは、私が「嬉しい大好きラブ幸せ」が口癖になりつつあるからかもしれない。聞かれたときは、驚いた。


理解できない人だっている。合わない人だっている。だからと言って、それらが嫌いになる理由にはならない。自分と考え方が似ていれば、どこか「同じ」ところがあるんだろうし、理解できないには何かしらの「違う」ところがあるんだと思うからだ。それを追求するのが凄く好き。嫌だと思えば嫌だと言うし、好きだと思えば好きと伝える。小学生でもできることを今の歳になって出来なくなるなんて、おかしい。

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そして基本的に、好きになった人に対して嫌いにはならない。ああどうしてそんなに素敵なのかと問い続けていたいくらいに大好きになる。一言で言えばゾッコン。好きの度合いは違うかもしれないけれど。

 

もっと言えば俗に言う「飽きた」とか「冷めた」とかいう感情に関しては本当に理解に苦しむ。(これが十人十色というものなのかな。)   

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そんなことを考えていた夜に「誰にだって裏はあるものだよ。」と電話口で言われて“ ああ、私が見てきたのは、結局自分に都合の良いように見ていただけであって本質的な部分には携われていないのか ”とガックリ肩を落とした日がある。

 

そもそも何が表なのか、裏なのかっていうのは他人には分かり得ないものなのではないのか。見えない或いは見せていないだけで全部表なんじゃないか。一個人に任せられるものなのか。

   

 

   

考えれば考える程、グルグルグルグル分からなくなっていった。

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とは言え、人が大好きで人に興味があるっていうのが私であって。考え出したらキリがないからグルグルなって分からなくなったけど、私は押し付けだとしても相手がどう思おうが、気持ちを伝えるのは変わらない。そこまで考える余裕なんて私にはきっと無い。

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例え、裏と言われる面を見せられようが隠されようが、私にはそれが裏か表かなんて全く関係無い。じゃあもう今後、好きが小さくなろうが大きくなろうが、変わらず私の中に好きは存在していて、ゼロにならないのなら好きを伝え続けたらいいのではないかという結論で。

 

誰しも良いところ悪いところがあって、悪いところばかりに目がいけば、嫌いが積み重なるけれど、そのときに少しでも好きを見つけることができたら好きが積み重なってどんどん大きくなるんじゃないかなって思う。

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何を言いたいのか分からなくなっちゃったけど、私も主観で生きてるんだなということだけは書いていて分かった。

 

 

まあ、人生の主人公は自分自身なのだからいっか。とかいう絶賛ポエミーな終わり方で終わり。

 

2016/10/26

「大好き」と言い訳して、目を背けていた話

    

最近というには少し遠すぎるくらいの時期に、「辞める」という決断をしました。決めて断つ、断つと決める。色んな捉え方がある「決断」をした。もう、お手上げだった。

 

弱さを残すことも、強さなのかもしれないと思って記録する。やっと気持ちの整理ができたのかもしれない。ほんの少し前の話。

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「青春だな~~~」っていうのが口癖になるくらい毎日が充実してた。充実というより「青春だな~~」の一言で目の前にある苦しさを誤魔化してたのかもしれない。友達を目の前に、いつのまにか所構わず泣きじゃくっていた。

     

毎日毎日見えない何かに追われていて、弱い自分を押し殺そうとしていた。苦しくなる度に自分がやらなきゃ誰がやるのかって動いた。「甘えるな、迷惑をかけることになる」と言い聞かせて向き合おうとした。任されたからこそ、その期待に全力で応えたいと思っていた。

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 でも「もう動けない」が正直なところだった。ある意味、動けないと自分で決めつけていたのかもしれない。もう、自分に余裕がなさ過ぎてそれすらも分からなかった。弱い、弱い、弱い。

              

自分を見失いそうになる、というのはこういう感覚かって思った。どの自分が本当の自分なのか検討もつかなかったし、何が自分にとって一番大切なのかも分からなかった。向き合い方が分からないというより、向き合う時間を作ろうとしていなかった。向き合った先に、光がさしてくるようには到底思えなかった。

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その時は「曖昧だから苦しくなっていて、ちゃんと向き合えていないから苦しくなるんだ」と言い聞かせていたけど、今はなんとなく違ったんじゃないかと思う。

    

きっと、「人が大好き」という言い訳が、現実から目を背けさせていて。関わり方とか優先順位とかを上手くつけることができず、自分を無視していたと今ならわかる。   

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本当に関わった人みんながみんなが大好きで、ずっとずっと大切にしていきたいと思ったのは事実だった。だからこそ出会ってくれて「ありがとう」っていうのが凄く大きくて、それを全力で返したいと思っていた。

    
人に恵まれているってよく言うけど本当にそうだと思ってたし、人に恵まれていると感じれば感じるほど、感謝の気持ちを込めて自分も動いていきたかった。

   

「出会った分だけ人に信頼されるくらいあれ」って自分の頭の中で何度も繰り返され、同時に自分が全く賢くもないし要領の悪さが露呈した。

   

 

      

結果として「全て中途半端」だけが残った。 

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皆のことが大好きだったし、これ以上にないくらいのキツいこの壁を乗り越えたら何か、自分が成長していく実感を持つことができそうだった。達成したあとには理想的な自分にグッと近づけるとも思ってた。それも、ものすごいスピードで。

   
でも、乗り越えられる余裕がなかった。お手上げだった。理想の自分とはかけ離れている自分だけが目の前にいた。

 

「苦しゅうないぞ」と誰かに言ってほしかった。色んなことに取り組んでいて、それだけの視野が広がる感覚も好きだったし、何でもやってる自分というのに誇りを持っていた。それが逆に変なプライドを持たせて、誰かに頼るっていうのがなかなか出来なかった。

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〝なりたい自分”が少し先にいる代わりに、目の前には〝なれない自分”がいて「ああ、どうしてこんなにも容量が悪いのか」と落胆の毎日で。すみませんすみませんばっかりで。

    

自分が小さく小さく見えた。先にいる自分は大きすぎていて、目の前にいる自分は想像以上にちっぽけだった。

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自分がリーダー的立場に立つことが今まで多かったせいもあり、「仲間が辞める選択をする」という苦しさを知っていた。

  

知っているくせに。任された立場があるにも関わらず。立場のある人間が辞めることがどれくらい周りに影響があるのか知っていながら。理由は幾つかあるとはいえ、「辞める」選択をするということは余りにも無責任で自分勝手な決断だとも思った。

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関係が無くなれば、次第に存在も薄くなる。
会わなくなって、最初から無かったことになる。でも気まずさだけは残って、、、っていうのが途轍もなく嫌だった。嫌われることが怖いというより「疎遠になる」というのが怖かった。

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自分の中で葛藤が何度も何度もあって、無い頭を自分なりに使って、ずっとずっと考えた。決断って苦しいなと毎日感じてた。

    

    

そのとき、救ってくれた言葉。


自分で自分をどこまで幸せにできるか、ということが、その人の価値だ。その価値というのは、自分で評価すれば良い。

他者を評価するときにも、その人と自分の関係で見れば良い。自分にとって良い人だと感じれば、それは良い人だ。尊敬できる人、好きな人、一緒にいて楽しい人、話をしたい人、などいろいろな価値があるはず。

  
自分にとって得るものがあれば、その人の価値がそれで測れる。逆に、そういう関係でなければ、価値がない人になる。 だからといって、その人を否定したり、非難するのは間違いだ。だいいち、そんな場合には、関係を結ぶ必要がない。無理に悪い関係を築く方がおかしい。非難したり、否定したりする以前に、遠ざかれば済む話である。”

 

    

なんだか心がスッと楽になった瞬間だった。

 

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「辞める」という決断をしてから約一か月が経った今日、初めてメンバーの人とご飯に行った。

   
会ったら会ったで、早速「最近どう?順調?」と状況を知りたがるし。というか別に状況を聞かなくても最近何があったかなんて無意識に把握していたし。何かある度に「きっと裏ではこういう動きがあってるんだろうな」とか勝手に憶測していたし。少し離れたところから見守るお婆ちゃんのような感覚だった。

   
久しぶりに会って、私はみんなの事がなんだかんだ大好きなんだなと改めて感じた。すごくすごく勿体無いことをしたのかもしれないけれど、あの決断は間違っていなかったと思える今があるから良かった。   

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自分で自分をどこまで幸せにできるのか。
今は最高に自分を幸せにできていると、胸張って言うことができるような毎日を送れている。

エブリデーハッピー

 

 

2016/09/26

なつやすみのおもいで。

   

久しぶりに帰った一人暮らしの家にあるカレンダーは七月のままで、当時は今年の夏がどんな夏休みになるかドキドキしていたなと懐かしみながら「あーもう九月」ってなったタイミングで久しぶりに更新。

     

 

ただただ大好きで楽しかった夏休みを記録に残しておきたい。ザ・自己満足の世界〜〜〜。

        

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八月に入って、大学のゼミの納会と登山。「ありがとう、本当に大好き」と誰もいない電話口で寝言が出るくらい疲れてた。寝不足のまま登る井原山は、最後まで登り切ることが出来ずに終了で、次の登山は最後まで登り切ろうって意気込んで帰りに焼肉食べた。相変わらずゼミ長は絶好調だった。

 

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最寄駅まで戻ったらその日のうちに大好きなスターフライヤーに乗って羽田空港、そしてムーンライト信州っていうイケてる新幹線に乗って山梨へ。

  

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二泊三日の全国合宿。満天の空に億千の星ってこういうことかってくらいに星が綺麗で空気が綺麗で心まで綺麗になった。温泉で出会ったおばちゃんから果物を貰ったり通りすがりのおじちゃんから突然話しかけられたり、田舎って良いなと田舎育ちの私でも感じることができた。食べ物全てが美味しかったし、人が暖かくて火傷しそうだった。

    

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走って笑って泣いた山梨での全国合宿が終わってから東京に移動。大好きな人、心から尊敬している人たちに会いに行って、フェスのお手伝い。大好きな人、心から尊敬している人に正直会うのすら緊張するんだけど、会いに行って良かった。こんな人になりたいって強く思った。「すげえわ、やっぱり。」ばっかり。

   

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美味しいとお洒落と刺激が詰まった東京滞在が終わったら家族と最後のお盆を楽しんで、バタバタ高知へ。いやさ、この高知が凄かったの。余韻から離れられない。うまく言葉に出来なくて苦しいレベル。でも残したくて長々と書いてる。とにかく最高だったの。

 

それが 【 香取神社の夏祭り 】

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子供達を笑顔にするプロジェクトで、高知の香南市っていうところの香取夏祭りのボランティアに行った。この言ってしまえば地元の小さなお祭りの成功の為に小学生から大人の人まで、幅広い年齢層の人たちが全国から一斉に集まって数日間かけてゼロからお祭りを作り上げるっていう。

 

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このプロジェクトに誘ってくれたのが、2分くらいしか会ったことがない東京の人だったし「友達誰もいないので頼りにしています」と伝えたら「大丈夫」と返されて更に不安になるし、交通手段なくて知らない人と車で行くことになって家族から心配されまくって不安のオンパレードだった。

     

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まず全く知らない土地に、知らない人と駅で待ち合わせして車で半日以上かけて向かった。ヒッチハイクならまだしも、ずっと同じ初めましての人。会話もままならないし柄にもなく人見知り発揮してて「これから数週間どうしよう」が何度も頭の中に浮かんでた。

   

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 山奥に着くと思ったら、恐竜たちが待ち構えている旅館の目の前で車が止まって。到着したらしたで今度は「きずなと散歩行こうか」と言われるがまま、その場を離れる。誰かと思ったらゴールデンレトリバーと呼ばれる雑種の犬だった。

    

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とか一つ一つ書いていたらきっと切りがないので、またいつもの感じで書いていこう。いや〜〜本当に毎日が濃くて楽しくて最高だった。

    

楽しいだけじゃなくて学びの連続、気付きの連続、自分と向き合う時間の連続、そして感謝の連鎖だった。高知を離れても忘れられない存在が沢山出来た。(というか、離れたくなくて毎日電話している)

 

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今回のお祭りのテーマが「感謝」だったんだけど、感謝されることにすら感謝している人たちが沢山いて。

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感謝することが「当たり前」と認識されがちな事に目を向けるキッカケになる。感謝することで、目の前にある物や人や出来事の見えないところまで感じることができる。そして、感謝されるっていう事自体も、自分の何気無い行動や発言に気付いてくれたってこと。それを言葉にして伝えてくれているってこと。 

    
感謝ってよく聞く言葉になってきてはいるけど、改めて「ありがとう」の言葉は凄いなって思った。感謝される人で在りたいし、感謝されることに感謝できるような人で在りたいとも思った。感謝の連鎖ほど、心地の良いものはないな、絶対。って言い切れるくらい。

   

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そして自分との付き合い方も下手くそだなってこの高知で自分でも何度も何度も感じた。休めばいいのに休もうとしない自分が悪いんじゃんって呆れるときがこれまでも何度かあったんだけど、それを改めて言葉にして教えてくれた仲間が出来た。優しさだけじゃない厳しさもくれて、大好きじゃ言い表せられないくらい大切な存在ができた。

  

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色んな場所から、様々な手段で、この場所に来ていて話せば話すほどみんなが魅力的で。なんか、肩書きを持っているとかいう話じゃなくて人として素敵な人ばかりだったから学ばせてもらってばっかりだった。当たり前じゃないんだよね、全部、全部全部。

    

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絶対もう一度会って、ありがとうってちゃんと伝えたいと思ったし私と知り合えて良かったって相手にも思ってもらえるくらいの存在になりたいな〜〜って思った。

    

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時間がゆっくりのようで、あっという間に過ぎていて、帰ってからも余韻っていう意地悪なやつが、中々離れてくれなくって、そしたら私も離れようとしなくなってきて困ってる。

  

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ふとした時に、楽しかったやりとりを見返しちゃったりなんかして。そしたら好きな気持ちがどんどん大きくなっちゃったりするから、もう表現できんくらいの幸せで胸がいっぱいになる。とくに、あのロング缶の淡麗が忘れられない。

 

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 本当にこの夏は常に笑ってた。ずっと笑顔で「幸せそうな顔してんな〜〜」って何度も何度も言われるくらい。まさにエブリデーハッピーだった。福笑いの新しい顔になれそう。と思っていたらなってた。

 

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おわり

2016/09/04

特別と現実と。

 

特別を感じると、ほとんどの人は嬉しい、幸せだと感じる。私は周囲より、人一倍幸せを噛み締めようとしているのかもしれない。

 

 

見知らぬ人が浴衣を着て花火大会の待ち合わせをしていたり、通りすがりの人が美味しかったとお洒落なお店を出ていたりするのを見るだけで幸せな気持ちになる。自分を自分で幸せにできる、と人から言われたことすらある。

 

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人より幸せを感じる場面は多い。もしくは多くしようと無意識のうちにしているのかもしれない。そして、特別って響きが凄くすき。でも難しいなとも思う。

 

 

例えば「会いたい」のたった一言でさえ、特別な相手に使うときと、純粋にただ会いたいっていうだけの相手のときと様々である。

 

様々なくせに、その隠れた感情は「会いたい」の同じ四文字に集約されているから、なんだかなとも思う。無情だな、と。

 

 

 

 

相手にとって何が特別かというのは、きっとその人の感じ方次第であり、そういう意味では人任せとも言える。

 

同時に、その特別かどうかの基準ですらも、「普通」が自分の尺度でしかないので、世間一般で言えば不確かな判断とも言える。

 

 つまりは全て特別にも、つまらないものにもなる。

 

 

 

とはいえ捉え方次第とは言いつつも、事実や現実とのギャップへの耐性も大切なんだろうな。

 

 

「特別だ」「私は特別な存在なんだ」と喜んだとしても自分の中にある自分が普通だから難しいなとも感じる。

 

 

 

 

幸せだと胸が高鳴る瞬間を何度も何度も感じたいのであれば自分を特別と感じたらいいのかもしれない。

 

その時に「思いの外、普通だった」ときに自分がどう感じられるのか。

 

2016/08/13  @長崎

自分の中の自分と自分が衝突した


自分の中で自分と自分が衝突して、自分から自分を取り除きたいような感覚が「ブワァッ」とあふれ出してきた。

 

何かを中途半端にして迷惑をかけていたり人との約束を平気で破ったりするような人が心底嫌いで、相手の時間を使っているっていう認識がない利己的な生き方をする人が理解できない。色んな都合があるというのは分かるけど、それ以前の話で。できるできないとかじゃなくて、そこに責任感はあるのかなと思ってしまう。狭い人間だな、と。

  

 

だから「知行合一」とか「有言実行」とかっていう「言っていることとやっていることが精通している」ような人に強い憧れがある。そういう人こそ、誰にでも通用するスーパー凄い人じゃんってなるし、キラキラ輝いてみえる。勿論これは自分がそれ相応のことをした上で発言するのが前提になるけども。だって、相手の立場から考えたら「自分のこと棚に上げて何もしていない人に言われたくない」とか思うし、そんな残念な人にはなりたくない。

  

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っていうようなことを思っていた22歳のわたしがいたんだけど、それが最近取り組んでいることが多くなって何がなんだか分からなくなっていた。というか、整理できていないだけだった。その結果、潰れそうになった。

   

 

誰かに「やれ」と強制されていることでもないし、「やってください」とお願いされているわけでもない。だけど自分に対して「自分で頑張るって決めたなら弱音吐かずに最後までやり抜けよ」って思うし、「やりたくないなら最初からするな」ってなる。何度も何度も頭の中で繰り返されて、グルグルと感情をかき回される。

   

 

この考え方があるから「がんばれる」し同時に「きつく」もなる。自分の中では、仕事をこなして人との約束は必ず守って信頼関係も築けて・・・っていう理想の自分に近づこうとしていた。ものすごいスピードで。そうしているうちに、「弱い自分」と離れていく感覚にもなった。

  

 

弱い自分が嫌いなはずなのに、弱い自分が消えると苦しくなった。とか思っていたら「すみません」を言わなきゃいけない瞬間が何度もやってきて、もうなんか全部投げ出したくなった。

 

まさに、自暴自棄って感じ。無責任な人が大嫌いなはずなのに、無責任になりそうな、自分がそこにはいて。そんな自分から離れたくなった。本当の自分が分からない、そんな感覚。

 

 

 でも「辞める」と決めた途端にやってくる状況、自分が相手にもたらす影響を考えたら簡単に投げ出すという判断は出来なかった。今までの思いだってあるし、ここで踏ん張れば何か変わるかもしれないとか思ってた。でももう頑張るエネルギーもなかった。

 

      


そんな「モヤモヤした自分との付き合い方分からないです」なタイミングで今日、大好きなライターである「佐々木ののか」さんに会えた。ののかさんは、私が失恋して映画を見まくる毎日から自然と「結婚」という言葉がキーワードになって、そのときにたまたま見つけた記事のフリーライターさん。

   

書く文章が全て好きで、時間があってもなくても時間を作って「わざわざ」でも読みたい、そんな言葉に物凄くパワーのある人。初めて会ったのは今年の誕生日の次の日で。あの、大好きな憧れの「ののかさん」が目の前にいる、話せる、毎秒興奮状態だった。なんだか懐かしいな。

 

   

   

弱い自分から抜け出したくて、でも弱い自分も自分で、そこから離れたら戻って来れないような気がした。話しているうちに自分の中でも頭の中を整理することができたし、それと同時に「ののかさんの言葉」をもらって世界がグーンと広く、そして見るべきものがはっきりしてきて楽になった。うおおおおって感情が高ぶって、生き方とか全部全部すげえってなった。言葉のない世界に行けたら今の自分の感情を百パーセント表現できるのかなと思うと悲しいくらい。

   

   

 

話すことで楽になる、整理できるようになる。そう感じた。自分にとっても相手にとっても有意義な時間だったらいいよな~と思う。だから話すのも聞くのも好きだし、その過程を終えたあとに出てくる「書く」とか「読む」とかいうのも大好きなんだろうなって思う。

    

本当に幸せだなって思う瞬間を整理しようとしたら三時間かかった。

 

2016/08/08 @神楽坂

全部自分

こういう時に気軽に頼れる人が

近くにいて欲しいとかいうのも甘えだし、
 
もう何もしたくないって
投げ出したくなるのも弱さだし、
 
そういう理想から
掛け離れたところに在る自分に嫌気がさす。
 
 
 
客観視して、何度も自分と距離を置きたくなる。
それも結局全部自分だってなって私以外私にはなれないし、これが私だと認めるのも私しかいないんだとゲスの極み乙女の「私以外私じゃないの」に落ち着く。
 
 
こういう思考の転換って、うまくいかない時こそ大切なんだろうな
 
 
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2016/07/17
 

混乱の後の無情

自分の中での葛藤が何度もある。
 

葛藤を繰り返して、どうしていけばいいのか結局何も分からない。気持ちを理解して配慮すべきなのに、どうしても自分の我儘が出てきて乗り越えることができない。
   

   

何度もぶつかってきた壁のはずなのに、これからもずっと乗り越えられる気がしない。弱い弱い自分を記録して向き合う。

 

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「自分の感情よりも先に、相手のことを優先したい。」

「相手のスケジュールや考えを尊重していきたい。」

 

 

     

自分が動かす立場になればなるほど、出てくる葛藤がある。

 

抱えているものが多ければ多いほど、大きければ大きいほどキツくなるし責任感が強い人ほど、自分を犠牲にしようとする。だからこそ配慮していきたいと思うし、それを中途半端と捉えないようになった。

   

それが「できる範囲での全力を出してくれた結果」であると認識できるように変わった。

        
   

   

でも「いざ」という時が来ると、途端に向き合えなくなる。

 

苦しさや悲しさや虚しさとか、そういう負の感情が一度に押し寄せてきて逃げたくなる。
自分の我儘な部分が露呈してきて、首を横に振りそうになる。イヤダイヤダと駄々をこねそうになる。

 

同時に「相手を優先しよう」とする自分が出てきてややこしくなる。自分がどうしたいのか分からなくなる。

 

大袈裟に捉えすぎているのかもしれない。涙と鼻水が同時に押し寄せてきて呼吸困難になりそうになった。過呼吸とかいつぶりってくらいに荒れ狂う。明日は大事な試験がある日なんだけど頭の中整理ができない。

     

 

 

    
「辞める」という選択。
やっていることが無意味に感じたり他に優先すべきことが多くなったりすれば勿論ある。

   

   

そもそも「やる」と決めるのも「やらない」と決めることができるのも自分自身。だから決めた決断には誰も何も意見することはしない。私自身の決断に対しては勿論だけど、相手が下した決断に関しても同様に言える。

   

と、大人な自分だけが出てくれば、解決。何も問題はないし全てがクリアになる。だけど実際は「でも…」と我儘で子どもな自分がいる。

    
辞めたいと言ってきた人の気持ちを優先して何も言わずにいたことがある。

    

相手の気持ちを優先したいという偽善の自分がいた。「辞めたところで、私たちの関係は変わらない」と信じていた部分も正直ある。

 

それでも世の中そう上手くはいかず。実際に辞めてしまってから関わりはあったかというと極端に減ってしまった。何かにつけ、集まる理由がそこにあったから集まることができたんだと思う。私の関わり方も反省すべき点なんだろうけども。

   

        
「薄っぺら」ではないはずの関係も、時間が経てば変わるんだろうなと冷めた視点も増えた。

       

   

自分の弱さと向き合うのが、こんなに苦しいのか。今まで逃げてきたから向き合えないのか。感情が一気に何度もぶつかってぶつかって結局よくわからなくなった。

    
混乱のあとは無情になるのかもしれない。感情なんていらないと叫びそうになる。

   

   

苦しみから逃げても何も残らないし何も変わらない。   

 

2016/07/16