日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

社会人になりました。

三月三十一日、新幹線の窓越しに母親と涙のサヨナラをして、東京二十二日目に書いたこと。

     
東京での研修が終わり、バタバタ飛行機に乗り込んで大好きなスターフライヤーで珈琲を飲みながら記録する。

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毎朝毎晩通勤は満員電車、四六時中会社の勉強。毎日三食自炊して、一通り終わればまた勉強。電車で寝てもいないのに最寄り駅を通り過ぎていたり、気付けばお風呂で気を失っていたり、なんて日もあった。

     

    

学生の時もハードな日を送るというのには慣れているはずだった。学校終わりの飲食店のバイトを二十三時半まで、終わってBARで朝四時まで働く。ベッドに横たわる二時間半後には学校というルーティン。その限られた睡眠時間ですら、友達との電話にあてる日すらあった。

     

若さなのか、考えていないだけだったのか、わからない。タフだった。

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社会人の今は、五時間の睡眠は確保できていても、頭が働かなかった。価値を提供できない自分のレベルの低さが苦しかった。数字で評価され、ランキング付けされ、公表。意図を理解していても、プレッシャーに押し潰されそうになり、周りとの差がつく感じもストレスだった。

     

苦しくて能無しの自分に嫌気がさしたけど、頑張ろうと思えたのは上司の言葉や同期の存在。週1の休みに名古屋、新宿、お台場で大好きな人達に沢山会えたことも大きい。

   

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苦しいとか、寂しいとか、羨ましいとか、全ては自分次第でなんとかできる時もあるということを証明したかった。悲しいと、悔しいは全部誰かの救いになる。未来の自分かもしれないし、自分ではない同じ思いをした他の誰かかもしれないけれど、絶対つながると何度も言い聞かせる内に変わっていく気がした。

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ぎゅうぎゅうに人が敷き詰められる東京の満員電車が、楽しいアトラクションのように変わった。電車に入ってすぐ、椅子取りゲームの開始と思うようになった。すると電車を待つ時間が楽しくなった。

   

そこで座れなかったら、次は満員電車の中で外国人の近くに移動して、リスニングの授業の始まり。テレビの天気予報を見なくても、天気を教えてもらえるようになった。

   

椅子も座れず外国人もいないとき、イヤホンをしている人がいれば音漏れを頼りにイントロドン。それすらも出来なければ、広告の出番。大好きな淡麗やお酒の広告を探して、気分を上げる。

      

起きている事実は同じでも、楽しみ方が変わった。満員電車だけじゃない。駅から会社までの道を毎日少しずつ変えて冒険する。銀座は、大都会だ。カフェに入る日もあれば、いつもより二時間前に家を出て散歩をする、とか。エナジードリンクを変えてみる、とか。

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東京に来た日から今日までで気付いたのは、全てを前向きに捉えるっていうのが案外難しいということ。それでも、なんとか変えようとするだけで、少しだけ気持ちが明るくなる。

     

自分でなんともできないときは、誰かに頼ってみたらいい。相談じゃなくても話すだけで気持ちが楽になる。どうしようもないときに、顔が浮かぶ存在になりたいと思った。

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東京ありがとうございました、また勉強することができました。

 

2017/04/22