日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

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寝ても覚めても幸せ

って、とても素敵だなと思う。


今日の朝は、夢か現実か
その境目が曖昧になるくらい
幸せな気持ちいっぱいになった。

そして
とても目覚めが心地良かった。笑



例えば好きな人がいて、
その好きな人と2人きりで好きな人の話をして
お互いもしかしたら自分かもって意識し合う。


なんかそういうの、とてもドキドキする。
高校生の時、放課後好きな人と心理テストを
しながら恋バナしたりしてドキドキしてたな。


そういう胸が高鳴るエピソードを
新年早々色んな人に沢山教えてもらい
私も、同じように幸せな気持ちになりました。

私も周りにとって同じように
人に幸せをシェアできる人でありたい。


幸せって言えば言うほど大きくなる気がする。
これから幸せって言う回数が増えていくといいな

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2016/01/17



鉛筆とシャーペン


小学生の時シャーペンをこっそり使っていた。

学校の先生たちはシャーペンを持っていることを見つけるとすぐ叱っていた。

どうして鉛筆でなければいけないのか
分からないから、見た目が鉛筆の形をした
シャーペンをこっそり使っていた。

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でも学校は鉛筆を使えと言う。


1.シャーペンは筆圧の加減が難しい
2.鉛筆は芯の形が整うので「はね・とめ・はらい」が上手に書ける
3.鉛筆の芯はシャーペンの芯より折れにくい



私も大学でそう習ってきたし何も疑問に思っていなかった。

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でも子どもがそれを言われたらどうだろう。


大人になった気持ちにさせてくれる
あのシャーペンを使いたくてたまらない時期に
それを言われたところで気持ちは変わらない。



そんな時に
父が教えてくれた鉛筆を使う2つの理由。

鉛筆は木から出来ている。
木は命のある植物だから、木の温もりを
小学生のうちに感じることができるように。
シャーペンは石油から出来ており無機質なものである。
だからシャーペンではなく、鉛筆を。

もう1つの理由は貧富の差が明らかになることを避けるため。
シャーペンは金額によって見た目の差が大きく変わってきてしまう。そういったところでの差が出てこないで済むように鉛筆に統一する。

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シャーペンが買えるかどうかなんてその子の家庭で決まってしまう。
親の裕福さで子ども自身の裕福かどうかを決めつけられてしまうのは余りにも悲しい。子ども一人一人は何も変わらないのに。


昔は鉛筆とシャーペンの金額の差が大きかったそうで、もし鉛筆に統一していなければ貧富の差が大きく出ていたんだろうな。



そう考えると知らなかったことが多いんだろうなと思う次第であります。



もっと多くを知っていきたい。
やっぱり尊敬できる父親だなぁ。


2016/01/15

自分から離れてみること


この1ヶ月の間に多くの変化がありました。
嬉しいことも悲しいことも、どちらも沢山。



どれだけ笑ったり楽しんだりしても
どれだけ泣いたり悔やんだりしても
時間だけは変わらず進んでいるんだなと思う。

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そしてこの1ヶ月の間で私にとって
悲しんだり苦しんだりする機会が特に多かった。

辛くて苦しくて仕方なくて
外へ出るのも自分の家にいるのも嫌で
その時は時間が過ぎてくれないと言って
時が過ぎるのを待ちくたびれていた程。



ひとつの事柄を時間が解決してくれると
よく聞くけどそうじゃないと思った。

時間はその出来事を過去にするだけ。
無情だなと感じるくらい淡々と。
時間が過ぎるだけ。日にちが進むだけ。


だからその出来事を
過去として捉える事が出来なかったら
それは事実上は過去でも、
自分の中でまだ過去にはなってない。
だから時間が解決するとは一概には言えない。


でも、だからこそ自分でその出来事を自分の中で整理することが大切だと思う。

過去に出来るなら過去として。
出来ないなら、その気持ちを大切にするまま。
出来事と、そして自分と向き合う事が大切。

自分なりに自分らしく、そして少し客観的に捉えてみる。そうする事で見えてなかった部分がたくさん見えてきて、どれだけ周りが支えてくれたか気付くことができるようになる。自分だけではないと知ることができる。


だからキツイ時こそ少し自分から離れてみる。


2016/01/14

いつ死ぬか分からない。


いつまで生きることができるか
なんて、全く考えた事がなかった。



将来どういう人になりたいか
どんな生活を送りたいか
どこで何をしていたいのか


最近は特に
そういう、先のことばかり考えていて
「正直明日死ぬかも」とか
「あと何時間生きることができるか分からない」とか少しも考えたことがなかった。




でも昨日、知人の親友が亡くなった。 

その知人は実感が湧かないって泣いていた。
半年前に会ったときは元気で明るくて
二人で懐かしい話なんかして盛り上がってて
バリバリ仕事もしていたのにって寂しげに言ってた。




いつ死ぬか分からない
永遠と生き続ける事ができるかもしれない
先の事なんて分からない


だけど、だからといって
できる事が全く無い訳ではないと思っていて、
 

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今は今を精一杯生きて
今は今の自分なりに、悩んだり喜んだり
真剣に向き合って自分らしさを貫くことが
いつ死ぬか分からないなりにでも
出来ることなんじゃないかと思う。


2016/01/14


スタート

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ふと読んでいた文章が心に響いて
私もこういうの、書けたらいいなと思った。


今感じていることも
これまで経験してきたことも
必ず意味があるんだって思ってる。


ただ、時間が経てば経つほど
こういう記憶って次第に抽象化されていくから
自分なりに残していきたい。


実際、余裕が無いとこういうのって
中々続かないんだろうって思う。


これから余裕のある過ごし方したいなっていう
ちょっとした願いも込めて始めてみます。



2016/01/13