日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

混乱の後の無情

自分の中での葛藤が何度もある。
 

葛藤を繰り返して、どうしていけばいいのか結局何も分からない。気持ちを理解して配慮すべきなのに、どうしても自分の我儘が出てきて乗り越えることができない。
   

   

何度もぶつかってきた壁のはずなのに、これからもずっと乗り越えられる気がしない。弱い弱い自分を記録して向き合う。

 

   f:id:tnzoe3:20160716230025j:image

「自分の感情よりも先に、相手のことを優先したい。」

「相手のスケジュールや考えを尊重していきたい。」

 

 

     

自分が動かす立場になればなるほど、出てくる葛藤がある。

 

抱えているものが多ければ多いほど、大きければ大きいほどキツくなるし責任感が強い人ほど、自分を犠牲にしようとする。だからこそ配慮していきたいと思うし、それを中途半端と捉えないようになった。

   

それが「できる範囲での全力を出してくれた結果」であると認識できるように変わった。

        
   

   

でも「いざ」という時が来ると、途端に向き合えなくなる。

 

苦しさや悲しさや虚しさとか、そういう負の感情が一度に押し寄せてきて逃げたくなる。
自分の我儘な部分が露呈してきて、首を横に振りそうになる。イヤダイヤダと駄々をこねそうになる。

 

同時に「相手を優先しよう」とする自分が出てきてややこしくなる。自分がどうしたいのか分からなくなる。

 

大袈裟に捉えすぎているのかもしれない。涙と鼻水が同時に押し寄せてきて呼吸困難になりそうになった。過呼吸とかいつぶりってくらいに荒れ狂う。明日は大事な試験がある日なんだけど頭の中整理ができない。

     

 

 

    
「辞める」という選択。
やっていることが無意味に感じたり他に優先すべきことが多くなったりすれば勿論ある。

   

   

そもそも「やる」と決めるのも「やらない」と決めることができるのも自分自身。だから決めた決断には誰も何も意見することはしない。私自身の決断に対しては勿論だけど、相手が下した決断に関しても同様に言える。

   

と、大人な自分だけが出てくれば、解決。何も問題はないし全てがクリアになる。だけど実際は「でも…」と我儘で子どもな自分がいる。

    
辞めたいと言ってきた人の気持ちを優先して何も言わずにいたことがある。

    

相手の気持ちを優先したいという偽善の自分がいた。「辞めたところで、私たちの関係は変わらない」と信じていた部分も正直ある。

 

それでも世の中そう上手くはいかず。実際に辞めてしまってから関わりはあったかというと極端に減ってしまった。何かにつけ、集まる理由がそこにあったから集まることができたんだと思う。私の関わり方も反省すべき点なんだろうけども。

   

        
「薄っぺら」ではないはずの関係も、時間が経てば変わるんだろうなと冷めた視点も増えた。

       

   

自分の弱さと向き合うのが、こんなに苦しいのか。今まで逃げてきたから向き合えないのか。感情が一気に何度もぶつかってぶつかって結局よくわからなくなった。

    
混乱のあとは無情になるのかもしれない。感情なんていらないと叫びそうになる。

   

   

苦しみから逃げても何も残らないし何も変わらない。   

 

2016/07/16