日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

ちょっと、頑張ろうと思った

‪昼間っから泣いて何してんだ自分‬。という風に自分を俯瞰して見て思った。

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そういうときに「頼ってね」と言われてもどう頼ればいいのか分からない。頼ることのメリットが見えない。相手に負の影響しかないように見える。自分が楽になるっていっても、それは甘えに感じる。お互いにマイナスになることを、しようとは思えない。

    

そうやって自分で全てを解決しようとするから出来ないが増えていく。自分の中で解決できんくなった。

 

「できない」が続くと、どうしても苦しくなる。そういう‪出来る出来ない、気にする気にしないを、決めるのは周りではなくて自分。その判断基準を高めるのも低めるのも自分。‬

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‪「出来ない」というのは、「出来」るまでやってい「ない」らしい。ああ、もう、だめだ〜ってなった。わたしはそんなに強くない。むしろ、弱い。‬

   

‪強さを求めるばっかりに、自分の中の弱さが剥き出しになる。弱さが露呈するから、強さを求め続けてしまう。もっと、こうなりたい。もっと、こうあるべきを言い聞かせる。愚直という言葉を自分でも自覚するくらいには、不器用だと思う。‬

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‪でも、やっぱり出来ない。出来るまでやっていない。出来るまでやろうと思えない。嫌いな自分がたくさんやってくる。最近は周りから「少しぐらい、自分を褒めてあげなよ」って言われることが増えてきた。褒められるようなことは何もしていないのに、どこを褒めるのか。出来ていないことが多いのに、たった少ししかない「出来た」を過大評価して何が残るのか。とも思う。‬

   

‪小さい頃に、お父さんから「『でも』や『だって』を付けるとと言い訳が続く」と言われてきたのを思い出す。言い訳をするくらいなら、もっと我武者羅にやれよ、と。したいように、するのが一番だと思う。したいようにしないのは、そこまでの熱量になる。‬

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‪私のしたいこと、私らしさってなんだろうとなったときに、確信が持てなくて「私らしさはこういうところです」と言い切ることができない。もっと周り見ろよっていうのを自分に思う。でも、私らしさを自分で分かっているのは、かっこいいなってなる。欲張りだ。葛藤ってこういうことか、と思う。‬

   

‪弱さを見せることを、受け入れてくれる人がいるっていうのを最近知った。なんと、幸せなことだろうとなった。分かってくれる人がいる、そういうのだけで感謝しかない。‬

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‪強さも弱さも見せ合える関係が好きなのに、なかなか弱さは見せる勇気がない。自分で弱さを認めてしまった先を考えてしまう。こういうのは考えすぎなんだろうな、とも思う。‬

 

‪正解なんてきっとないのに、求めてしまう。正解を求めるから、苦しくなる。自分で正解にすればいいのに、失敗とかそういうのを恐れている自分がいた。‬

  

‪うまくいくかは分からんくても、動いた先に見えた事実を受け入れる。きっとこういうのが、今の自分に足りないんだと思った。ちょっと、勇気を出してみようと思った。‬出来るかわからないし不安だけど頑張る。

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2018/02/27 

 

エブリデーハッピー

自分のことを話している人のブログを読むと、素敵だなと思う。だから今日は少しだけ、自分のことを話してみる。今日までの自分紹介。

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小学生の時、
地毛が茶髪でヤンキーと呼ばれてた。
それでもクラスでは学級委員長を任される位置。成績は常に九割以上。習い事はたくさん。ピアノ・英語・テニス・水泳・料理教室・歌とか数えきれないくらい。長期休みは十二時間以上勉強漬けの毎日だった。ヤンキーなのにエリートっていうギャップが自分でも好きだった。

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中学校は私立の中学校を受験し合格。ここではエリートが沢山だった。同級生の趣味は乗馬とか、別荘があるのが当たり前の世界。お金持ちだらけ。地下室のある部屋って、なんだよって思ってた。

   

成績では目立つことが難しかったから、他で前に出るようにした。体育祭応援団、ダンス、弾き語り、アート、青年の主張コンテストで採用。ひとつが駄目でも視野を広げたら、なんでもあると思った。

 

まあ「一番成績が良くないと、リーダになっても無意味。」みたいなことを、担任の先生に言われたりもしたんだけど。それがきっかけで成績はあがったので、結果オーライ。

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高校はシンプルに勉強と部活。青春といえば、この時期、というくらいにがむしゃらに頑張った。朝は始発で部活の練習、朝の課外授業、授業後の部活、放課後の課外授業。帰って0時を過ぎるまで塾で勉強。部活は山を八周走ったこともある。持久力が無さ過ぎて練習についていくのが必死だった。辞めたくても辞めさせてくれなかった顧問と部員のおかげで、第一志望の大学に合格。

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小学校免許取得ができて、お婆ちゃん家の近くの大学だった。

    
入学してからは「先生になる」ために必要なこと全部を吸収しようとした。3つ上の学年が受ける教員採用試験対策を数万円払って受講したり、大学教授の学外講演会に参加したり。一週間勉強だけをする合宿に参加したり、学外サークルをしたり意識は高かった。倒れたり吐血するくらい自分のキャパを超える活動をしてた。いま思えば、頭悪い。

   

学内サークル、学外サークル、県外での活動、社会人との活動。先生だけしか見えていなかった自分の将来を見直すようになった。教員採用試験の勉強と就職活動を並行して進める。

   

人生で初めて「強さ」だけじゃなくて「弱さ」も見せてくれる大人と出会った。本気で向き合ってくれた。気付けば選考終わりに「選考の合否に関わらず、貴方から学びたいです」と猛烈アピール。「名刺は渡せないから内定もらってね。内定式で待ってるよ」と言われ選考終了。

    

その後も選考を受けて、無事に自分の誕生日に第一志望の企業に内定をもらう。斜めに傾いた誕生日ケーキで祝われた新宿での夜は忘れられない。

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四月に入り、なりたい自分になるために、やりたい仕事ができるようになった。「社会人なのに毎日楽しそうだよね」と言われて、嬉しかった。たしかに、楽しい。

  

学生のとき、社会人になったら好きなことができなくなると思っていた。社会に出るのが、少しだけ嫌だった。でも、全ては自分次第だった。悩んで悩んで悩んで定まったものは、強い。

     

    
小学校の頃「何にでもなれる」と思えるくらい習い事が出来たのも、全て家族のおかげだった。中学校で、高かったプライドをへし折られて、視野を広げる大切さを学べた。高校で「人生で一番勉強と部活がんばった」っていう経験は一生ものの宝で。大学のときに、出会った人達は人生で間違いなく一番大切な存在。社会人になって自分の弱さ強さと向き合うことができる毎日。いや、なんかもう、幸せなんだと思った。書きながら全て繋がってるなって、なった。

   

回り回って世の中全部うまくできてる。

  

 

この間、香川県で出会ったおじさんに

「他はいくらでも変えることが出来るけど、自分の人生は誰にも変えられないからね。自分の人生を自分なりに、自分で生きるんだよ。」

と言われた。

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言葉に重みしか無かった。好きを、自分を貫いてる強さ。私もいま、きっと他の誰でもない自分の人生を歩めているんだと思う。だから楽しい。だから毎日が幸せだと感じることができる。

     

  

エブリデーハッピーは、自分の中でこれからも大切な言葉。あけまして、おめでとうございました。

2018/01/02

あのときああしてたら、の話。

 

最近「こうしたら良かったかな」とかって思うことが何度かあった。後悔まではいかないけれど、自分の決めたことや言動に不安になる、みたいな感じのやつ。責任を持つことが少しだけ出来なかった。

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人生は選択の連続である、という言葉がある。過去の選択の積み重ねが、今の自分になるというの。

    

決めて断るのが決断というなら、決めた後は他がどうでもよくなるくらい夢中になる方がいいと思った。決めたのに「これもしたいし、あれもしたい」とかっていうのは、素敵なことなんだろうけれど、優先順位がつけられていないただの我儘でもある。全て中途半端に終わってしまう。

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きっと完璧である必要はないんだろうけど。それなら、そのくらいの覚悟なら、言わないでくれと思う。公言せず、勝手に一人でやってくれたらいい。「でも」「だって」が出ると、そのあと言い訳が続く。言い訳を並べるくらいなら、最初から口に出さない方がいい。いつまでも言い訳ばかりでいいわけ?っていう。(駄洒落ってことに気付いて)

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苦しくなったら息抜きをしたらいい。頼りたい人に何も考えず頼ったらいい。一人で抱え込んじゃうくらいなら、しんどいって言ったらいい。焦るのも分かるし、人一倍頑張ってるのも知ってる。弱さを見せるのは勇気のいることだけど、強い部分も弱い部分もあって「その人らしさ」が滲み出る。その方がずっとカッコいいし、好きだ。

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この間、今とは全く別の環境で生きた自分と会ってみたいね、と話していた。違う選択をした自分と会ってみたいね、と。「あのとき、ああしていればああでこうで」と選択した時の自分を思い返す。

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「あのとき」の自分が違う選択をして生きてきたら、それはある意味他人だし、もっと言えばそれが他人なんじゃないかとも思う。それなら今の自分を楽しめ、というオチの無いオチで終わる。

 

2017/12/10

ほろ酔い気分で恋バナをしよう。


勇気を振り絞って、告白するという時に限って緊張して「す」の一文字しか言えなかった告白をしたことがある。

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好きな人を目の前にすると、上手く気持ちを伝えられなかったり素直になれなかったりする。恥ずかしさとか緊張とか、そういう色んな感情が入り混じって、面倒臭い人間に成り下がる。今まではこのことを「そういうもんだ」と自分を誤魔化し、甘やかしてきた。    

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ただ、それを変えてくれる人はいるもんで。

   

どこが好きか聞かれたら「全部」と応えるくらいにゾッコンになった。美化しているかもしれないし、相手の良いところしか見れていないかもしれない。ただ、一緒にいる時間だけで全てが好きだと思った。もっと一緒にいたいと思うようになった。強い部分も、そうじゃない部分も全部ひっくるめて大好きになった。

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恋愛について話すと幸せな気持ちになるのは、相手の好きなところが次々に溢れ出てくるからだと思う。まるで、その楽しかった瞬間に戻ることが出来たかのような気持ちになるからだとも思う。タイムスリップみたいな、そんな感じ。

    

誰と話していても恋バナが正義なのは、話している方も聞いている方も幸せな気持ちになれるからで。叶う叶わない、うまくいっているうまくいかない、そういうの関係無くそこに「好きという気持ち」があるだけで良い気がする。

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たまに、寂しさを埋める為だけの関係とかがあるけど、それで最後にお互いが幸せになるならいいと思う。中途半端な関係は、よくないけれど、そういう時期って誰しもあるもんなんだと思う。それを経て、関係が良い方向に変わるならオールオッケーな気もする。浮気とかそういうのは抜きにして。

    

実際に会えるか会えないかに関わらず、会いたいと思った時に素直に「会いたい」と伝えられるだけでいいんじゃないかって思う。きっと嬉しい気持ちになる。

    

確かに、他に優先すべきことがあったりその言葉自体が負担になるとか、そういう複雑な問題はあるのかもしれない。でも言わなきゃ伝わんないってもなる。

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とかいう自分が言えてるのかは別問題ってもなる。酔っ払った勢いで好きな人についてダラダラ書きたくなるっていうくらいにほろ酔いってなって、言葉に出来る。ほろ酔いなら本人に伝えられる。


他人相手だったら上手くアドバイスが言えたりするのは、それが自分じゃないからで。いざ自分となると、苦しいとか悲しいとか寂しいとかプラス以外の感情を体感することになる。怖くて動けなかったり、そもそも盲目になって冷静に判断できなかったりする。人がゲームにハマるのは、そういう自分以外を操ることが出来るから、らしい。喜怒哀楽の感情を外から見ることができるから。

   

自分と会話するのが大事って言われるのは、そういうところだろうな。客観視することで、相手の視点も含めることができる。いい意味でも悪い意味でも。

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まあ、そういう冷静な視点っていうのは理性が働くから持てるんだろうな。冷静すぎるより、自分の感情に素直な方が好きだけど。淡麗が好きなのは、理性が飛ばせるから。でもまあ、たまには、そういう視点をもって整理して良い方向に進める時間も大事だな〜。

   

ほろ酔い気分でダラダラと書いて、淡麗片手に誰かと話したくなったところで寝ます。

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2017/11/03

 

大人になりたくないと思った

人の死とは、ほとんど直面した事がない。病院なんて、指で数える程もないくらい行ったことがない。とおい、名前も知らないような親戚の御葬式に参加したくらいで、そういった場面に直面したことがない。

      

だからこそ人の死は恐いし、今後も経験したくない。なんて甘えたことも言える。

        

と、こんなことを書いているのも最近あった色々が、ひと段落したからで。お酒を飲んだら涙が止まらなくて赤ん坊のように泣いて、沢山周りに支えてもらいました。ありがとうの記録。   

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ある日「帰って来てくれないか」と実家から突然連絡があった。

     
毎月のように帰っているのに。その日はずっと前から楽しみにしていた予定が入っているのに、連絡があった。頭の中のハテナをクリアにするために聞いた理由は、想像とは全然違った。頭の中が途端にフリーズした。

       
お爺ちゃんが倒れて、数日前から入院している。

      

大人になるって、こういう事だったなら大人になりたくないと思った。苦しさを何かで紛らわしたとしても、現実は変わらず目の前にあって、結局は自分が背を向けているだけだったりする。向き合う勇気も色んな覚悟も今はまだ出来ないし、強さなんて持ち合わせていないけど、きっともう少しだけ頑張れる、と言い聞かせ続けた。

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チクタクと鳴る腕時計の秒針の音が着々と命を刻む音に聞こえた。カウントダウンをされているような気持ちになった。手遅れだった、というわけではない。目の前から居なくなってしまったわけでもない。

    
でも、もうその時は着実に近付いていて「覚悟しなければならないね」と周りは言っていた。その時がいつきても大丈夫なように。時期は来た、と言いたげに。

      
そんなことは出来ないし、余裕なんてないし目の前のことから目を背けたくて堪らなかった。でも、もっと苦しいのは本人で。無力な私が唯一出来ることは、変わらず笑顔で話すこと。まるで、何事も無かったかのように接するのが唯一出来ることのはずなのに、話し終わったら涙が止まらなかった。

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病室の隣のベッドの人の会話が聞こえた。「しっかりしてよ、お願いだから」と泣きながら訴えている女性。まるで将来の自分達を見せられているかのような気持ちになった。自分に余裕が無くなって、自分でいることが嫌で仕方なくて情けなくて泣いて怒鳴って苦しんで虚しくて戻りたくてって、感情が揉みくちゃになっていた。耳を塞ぎたくなった。

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隣の会話が聞こえないように話しかけてもプツンプツンと途切れてしまう。「何か話さなきゃ」と思うも、いつもと違う姿に動揺して言葉が出ない。ぎこちない会話になる。時折見せる切ない表情を、なんとか明るくしたいけれど何も出来なかった。

     

なんで、自分じゃないんだろうと何度も思った。もっと近くにいれたら、と何度も思った。前みたいに冗談言い合えるような会話がしたいと、苦しくなった。
     
‪「これが最後になっても大丈夫なように」なんて綺麗事を言えるほどの余裕は無くて、それでも後悔しないように笑いかけるんだけど上手く笑えなくてっていうサイクル。

       

そのまま時間だけが過ぎて、帰りの時間になった。帰りの移動時間に流れた音楽が救ってくれた。言葉のエネルギーは凄い。音楽のエネルギーはすごい。

 

今はこんなに悲しくて涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
「そんな時代もあったね」といつか話せる日が来るわ
「あんな時代もあったね」ときっと笑って話せるわ
だから今日はクヨクヨしないで
今日の風に吹かれましょう
   

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‪あと、一年前の六月に書いてた文章があるんだけど、結局全てはこの考え方だってなった。‬

     

「ある程度歳をとれば、いくら逢いたさが募ったとしても、二度と会えないなんてことが当たり前になってくる。変に自意識過剰に陥らず、会いたい人には会いたいと、好意がある人には好きだと、素直に行動するべきだと思う」っていう文を見て、改めて会いたい人には皆に会おうと思った。素直に動こう。

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お爺ちゃんは無事に退院しました。会える時間は限られてるけど、だからこそ、これまでと変わらない時間を一緒に過ごしていきたい。

      

2017/09/14 

衝動に任せて書いた

 

この今の感情を、今すぐ書き残したい。と衝動に任せて文字に起こしている。

       

ここ数ヶ月間は、ゆっくり過ぎていってた。同時にあっという間にも過ぎてった。変わらないと変わらないとじゃ変われないし、変わってる実感もないんだろうなと思いながら何度も過ごしてきた。

 

久しぶりにペン握って文字書いた。 

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そんな今日も大好きな人に会うことができて、気持ち揚々でラクダの真似をしました。元気になりました、ありがとう。エネルギーチャージ完了。幸せな時ほど調子に乗って気持ちが良いもんは無い。今月はいっぱい調子に乗れそう。    

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苦しいことも、しんどいことも、ちゃんと向き合おう。目を逸らしても何も変わらない。少しずつ、変わろう。  しばらく経って読み返した時に成長してるといいな〜〜

    

2017/08/06

    

恋バナをしたら心配される理由

「あの人はこういう人だ」と一度なんらかの印象を持つと、ずっとその後もその印象はつき続け、そういう目でその人の事を見てしまう。しまいがち。

   

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すごいと思えば、そのへんの有名人よりも自分の中でのその人は輝き続ける。その人の紡ぐ言葉ひとつひとつに深みを感じて、尊敬に尊敬を重ねていく。何をしても素敵、というようになる。ある意味で、相手が見えなくなる。

       

「そんな大した人間じゃないよ」と言われれば「じゃあ、どんな人間なのかもっと知りたい。」となる。自分の見ている世界が全てではないとは分かっていながら、自分の見えている世界以外に目を向けようとすると何が何だか分からなくなる。

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自分から好きになるときは大体、関わってから好きになる。知れば知るほど魅力的に感じて、見えなくなる。好きになったら相手に完全に染まる。

   

お薦めと言われた映画は全て見るし、相手が好きな食べ物や飲み物は全て好きになる。ショートヘアが好きと言われて翌日、伸ばしていた髪をバッサリ切ったこともある。こんなにも影響を受けやすいものかと驚くことがある。好きがこんなにも大きいものだったのかと気付かされる。染まりやすい。でも、きっと好きになったら相手に染まるのは誰でも経験あるはず。

     
ただ、友達と恋バナをしているときに「過去になにがあった」と心配されるくらいには恋愛感情に対して踏み出すということができない。それはBARで働いていた短い期間で学んだ大人のブラックな姿が頭から離れないからだと思う。

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「きみ、若いから同世代の人としか経験ないでしょ。もっと上とのセックスを経験した方が良いよ。知らないなら教えてあげるから。踏み台にしていいよ。」とダイレクトに言われたこともある。親切心なのかもしれないけれど、結局自分がやりたいだけでしょと冷めた自分がいた。

   
「性欲処理でしかないよ、女は。付き合ったら面倒になるだけでしょ。だるい。」と愚痴をこぼす年の近い男の人の話。

   
「コンドームは男が買うことが多いけれど、別に男が避妊する必要ないし、妊娠したら捨てればいいだけだから逆だろ」と自慢げに話す人もいた。

    

  

別にこれが男の人の実態だとか、この考えが世の男性の全てではないとは思うけれど、セーブをかけるようになった。きっと皆に言っている。自分の欲のために言っている。そう考え始めたら、どれだけ相手を魅力的に感じていてもぐっと冷める。美化しすぎていたと冷める。

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でもやっぱり好きな人に好きと言いたいし、本当に好きな人から好きと言われたい。でもまあ男の人が複雑なように、女の人もきっと複雑なんだろうなきっと。

 

ということを書いていたら隣の席にいた男性から連絡先が書いてある紙を渡されて戸惑っていますが、詐欺の可能性もあると言われ益々混乱しています。人間ってむずかしい。

 

2017/05/22