日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

髪の毛を切った

髪の毛を10センチほど切った。ロングヘアからミディアムといったところだろうか。気合い入れ、そして自分の中での切り替えというところで切ってしまった。自分の中での違和感は無いけれど、鏡を見ると「あ、ない」と思った。ヘアアレンジの数も減ってしまって少し寂しい。

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最近は余裕がなかった。笑ったり泣いたりした。ムシャクシャもした。仕事がうまくいかなくなったら、いつも通りにやっていても  なんだかバタバタして過ごしてしまっている。きっといつも通りじゃダメなんだろうけど、たぶんこれ以上のことは出来ない。

          

この間は、休みの日が一日だけだった。これまでは平日休みで一日だけの休みというのが当たり前だったのに、土日休みに慣れると全然身体が休まった気がしなかった。慣れって、たぶん、いつの間にかやってきてる。

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休みの日、何もしなかった。心身ともに休めよう、とかなんとか言って誰も聞きやしないのに何もしなかった言い訳を考えていた。予定のある週末に慣れて、誰かに話せるような何気ないエピソードすら思い浮かばないことが嫌だったのかもしれない。

       

でも何もしない日を過ごしたら、淡々と一日を過ごしたら、周りとの接触がなくても案外大丈夫だった。自分でも、意外だった。

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相手がいてくれるものだと思うから求めて、苦しくなったり寂しくなったりする。でも、そういう弱さや繊細さがあるから、結び付きを必要とするのかもしれない。何もなければ、たぶん一人で生きることはできる。生きる、というと大きなテーマみたいな気がするけど、なんというか誰もいなくても毎日を充実して過ごせると思う。

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悩むことも胸を痛めることもなければ、誰かを求めずに一人でやっていける。もし、感情的になったり気が狂いそうになったりしなければ、一人で目の前のことに向き合うことだって全然出来る。でも、それは「できる」というだけの話で。

   

いなきゃダメじゃなくて、いたら嬉しい。いてくれるだけで安心する。なくても違和感は、きっとないけれど、でも、ふとした時にきっと寂しくなる。髪の毛と一緒だ。

      

2019/04/25