日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

ここ最近の全部

「どうしたらいいのか分からないのと、どうしようもできないのと、どうにでもなってしまえというの。」と全てにおいて投げやりになったことがある。答えのないことをエンドレスで悩んで苦しくなってた。高校生のときも同じようなことがあった。変わってないな、とも思った。成長していないと何度も同じ壁にぶつかる。

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変わらないと変わらないとって、何度も思ってきて、それなのに何をしても変わっている感じがしない。何回も不安になるし、情けなくて「嫌だ」と全てを投げ出してしまいたいを繰り返す。

    

苦しくなると、「逃げたい」気持ちが強くなる。逃げても意味がないということは分かりきっているのに、逃げたくなる。目を背けたところで、何もない。逃げた先には嫌いな弱い弱い自分がいるということは目に見えている。というのを何度も繰り返す。その度に、ちっぽけだと自分を小さく感じる。

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「逃げ」は、立ち止まらず、動いている証拠だと捉える人もいるけれど、そう簡単にも思えなかった。自分に対しては特に、いいように言っているだけの、言い訳に見える。

    

だからこそ、そういう弱いところを見せるのは苦手だし、自分が弱音を吐くこと自体、周りにはデメリットに感じる。期待値を下げて自分へのプレッシャーを減らす、そんなときに言うもんだと思えた。故に頼りたい時にヘラヘラとして、頼ることができない。自分から離れていこうとしてしまう。


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強いところ弱いところ、どちらもあって「その人らしさ」が出てくる感じが好きと昔から言っている。そういう人間味溢れている素敵な人が周りには多い環境で過ごしてきた。

 

強いところばかりを見せる人は、プライドの高い人が多い。かっこつけたがる人は、弱い自分を見せないことが多い。かっこわるい自分を見せるのは、ある意味で自分の弱いところを公開することになるから、なのかもしれない。痛い程わかるし、わたしもそういうところあるし、あった。

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強さも弱さもあって魅力を感じるんだと言っている癖に、「弱いところ、全く見せようとしないよね」と言われた。距離が一番近くあってほしい存在に言われた。情けなかったし、言われてぐうの音も出ないくらい腑に落ちた。人は弱いものなのに、強く見せようとする。強くあろうとするあまりに、弱いのを隠したがる。自分にとって、大きな存在の人から言われる言葉は響きやすかった。

    

そういえば、前に付き合っていた人と別れたのも自分のこういうところが原因だった。同じ壁にぶつかる、というのはこういうところでも繰り返されるのかっていう驚き。同じことは繰り返したくないし、繰り返さないようにしてくれるので本当にありがたいと思う。全力シェイシェイ。

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周りに強さと弱さの開示を無意識に求めている一方で閉鎖的に独りよがりになっている自分がいた。この情けなさは、忘れずにいようと思った。そういう、とても欲張りで自分のことを棚に上げる部分は、良いように見ないでいた、見てこなかったんだと嘲笑った。

   

頑張らない理由は、幾らでもそのへんに転がっている。頑張る理由も、同じように沢山転がっている。

  

だからこそ、ちゃんと自分で向き合わないと甘やかしてくれる環境も厳しすぎる環境も、自分次第でいくらでも変えられる。

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変わるのは、変えようとしないと変わらない。重たい一歩は、自分から動かさないと変わらない。ちょっと不安だけど頑張ると決めてから、変わる一歩を三月は踏み出せたので、これからが勝負だなってなりました。

  

強い自分と弱い自分、どちらも自分だからこそうまく付き合っていこうと思う。少しずつ、少しずつ。そして、何が正解か分からなくなったら、きっと自分にしか目が向けられていない時。そういう時こそ周りに目を向けようと思った。踏み出します。

  

2018/04/04