大人になりたくないと思った
人の死とは、ほとんど直面した事がない。病院なんて、指で数える程もないくらい行ったことがない。とおい、名前も知らないような親戚の御葬式に参加したくらいで、そういった場面に直面したことがない。
だからこそ人の死は恐いし、今後も経験したくない。なんて甘えたことも言える。
と、こんなことを書いているのも最近あった色々が、ひと段落したからで。お酒を飲んだら涙が止まらなくて赤ん坊のように泣いて、沢山周りに支えてもらいました。ありがとうの記録。
ある日「帰って来てくれないか」と実家から突然連絡があった。
毎月のように帰っているのに。その日はずっと前から楽しみにしていた予定が入っているのに、連絡があった。頭の中のハテナをクリアにするために聞いた理由は、想像とは全然違った。頭の中が途端にフリーズした。
お爺ちゃんが倒れて、数日前から入院している。
大人になるって、こういう事だったなら大人になりたくないと思った。苦しさを何かで紛らわしたとしても、現実は変わらず目の前にあって、結局は自分が背を向けているだけだったりする。向き合う勇気も色んな覚悟も今はまだ出来ないし、強さなんて持ち合わせていないけど、きっともう少しだけ頑張れる、と言い聞かせ続けた。
チクタクと鳴る腕時計の秒針の音が着々と命を刻む音に聞こえた。カウントダウンをされているような気持ちになった。手遅れだった、というわけではない。目の前から居なくなってしまったわけでもない。
でも、もうその時は着実に近付いていて「覚悟しなければならないね」と周りは言っていた。その時がいつきても大丈夫なように。時期は来た、と言いたげに。
そんなことは出来ないし、余裕なんてないし目の前のことから目を背けたくて堪らなかった。でも、もっと苦しいのは本人で。無力な私が唯一出来ることは、変わらず笑顔で話すこと。まるで、何事も無かったかのように接するのが唯一出来ることのはずなのに、話し終わったら涙が止まらなかった。
病室の隣のベッドの人の会話が聞こえた。「しっかりしてよ、お願いだから」と泣きながら訴えている女性。まるで将来の自分達を見せられているかのような気持ちになった。自分に余裕が無くなって、自分でいることが嫌で仕方なくて情けなくて泣いて怒鳴って苦しんで虚しくて戻りたくてって、感情が揉みくちゃになっていた。耳を塞ぎたくなった。
隣の会話が聞こえないように話しかけてもプツンプツンと途切れてしまう。「何か話さなきゃ」と思うも、いつもと違う姿に動揺して言葉が出ない。ぎこちない会話になる。時折見せる切ない表情を、なんとか明るくしたいけれど何も出来なかった。
なんで、自分じゃないんだろうと何度も思った。もっと近くにいれたら、と何度も思った。前みたいに冗談言い合えるような会話がしたいと、苦しくなった。
「これが最後になっても大丈夫なように」なんて綺麗事を言えるほどの余裕は無くて、それでも後悔しないように笑いかけるんだけど上手く笑えなくてっていうサイクル。
そのまま時間だけが過ぎて、帰りの時間になった。帰りの移動時間に流れた音楽が救ってくれた。言葉のエネルギーは凄い。音楽のエネルギーはすごい。
今はこんなに悲しくて涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
「そんな時代もあったね」といつか話せる日が来るわ
「あんな時代もあったね」ときっと笑って話せるわ
だから今日はクヨクヨしないで
今日の風に吹かれましょう
あと、一年前の六月に書いてた文章があるんだけど、結局全てはこの考え方だってなった。
「ある程度歳をとれば、いくら逢いたさが募ったとしても、二度と会えないなんてことが当たり前になってくる。変に自意識過剰に陥らず、会いたい人には会いたいと、好意がある人には好きだと、素直に行動するべきだと思う」っていう文を見て、改めて会いたい人には皆に会おうと思った。素直に動こう。
お爺ちゃんは無事に退院しました。会える時間は限られてるけど、だからこそ、これまでと変わらない時間を一緒に過ごしていきたい。
2017/09/14