日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

グルグルグルグルグルコサミン

最近頭の中でグルグルグルグルグルコサミンのCM並みにグルグルと離れてくれなかったモヤモヤのお話。長いよ、長編だよ。

  

 

人生っておかしなもんだね。誰かとすごく親しくなったかと思うとなんの理由もないのにだんだん離れていったりするみたい。

      

スヌーピーの言葉でこんな言葉があった。確かに、おかしなもんだ、と私も共感をしていた。

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これまでの関係、若しくは今の関係が、今後も同じように続いていたいというのは甘えなのかもしれない。流れている時間の感覚も違えば、環境も変わってくる。話題だって次第に噛み合わなくなるのかもしれない。

      

社会に出て、今までとは違う環境にそれぞれの生活に各々が馴染むようになったら、きっと休みが出来ても『数少ない貴重な休みの日を誰とどう過ごすのか』っていうので、どうしても会う人会える人が限られてくるのかもしれない。

    

でも、それが嫌だと大声で訴えかける自分がいる。卒業を目前にして、帰るよと手を引く親を横目に嫌だ嫌だと駄々をこねる幼稚園児に成り下がっているのかもしれない。

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知らない間に、周りの人間関係が変わっていることがある。それは、上に書いたスヌーピーの言葉のように「理由なく」離れたのかもしれないし、「理由があって」離れたのかもしれない。

      

あるいは、表面上は良好そうな関係でも上部でしか関わっていなかったり実はギスギス、なんてときだってあるのかもしれない。

 

ついこの間なんかは結婚指輪をしていても「奥さんはいるけど、僕の中では離婚しているんだよね」と会社の上司に笑いながら話す人だっていた。ずっと憧れていてキラキラしていた結婚指輪が、すさんでいるように見えたりもした。

   

   
そういう意味では「何も知らない」というのは、幸福なのかもしれないとも思う。何も知らなければ、自分の考え一つでいくらだって突き進める。自分の考えが一番だ、とでも言うかのように周りなんて御構い無しに。    f:id:tnzoe3:20161026172233j:image  

 

でもそれでいいのか、それで満足するのか、と聞かれたらそうでは無い。所詮、自己満足の人生なのかもしれないけれど、「周りを見えていない、主観でしかない」と感じた瞬間、自分のことも周りのことも冷めた目で見てしまう。この判断すらも主観なのかもしれないけれど。

    

そういった過去があったから、今こういう見方を意識するようになった。自分の主観だけじゃ駄目だと気付くような経験をしたから「自分がこうだった、自分がこうだから」といって周りに同じことを求めるのは押し付けである、と思えるようになった。選択肢を与えても、囲うと途端にそれはエゴになる、と。

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全く理解できない考え方と出会ったとしても、その考え方には同じように「これまで」があった上で構築されていて、他人が自分と違うのは当たり前であると視点が増えた。

 

自分と違う考え方に対して否定的だった私も、理解しよう理解しようとすればするほど知らなかったモノの見方とか捉え方とかに興味が湧いて、今よりずっと世界が開けてくるんじゃないかとワクワクすらするようになった。

   

やっぱり「視点が増えると見え方が変わってくる」というのは本当に感慨深いなと何度も何度も感じた。普段使っている地下鉄も、数百ページある企画書を一気読みしたら「こんなにも思いを込められた場所」として新たな見え方ができた。今までとは違う眼差しで色やデザインを見るようになったりして見え方がまるで違った。見え方が違うと価値観が変わる。見えない世界が見える瞬間が物凄く好き。

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そんなエブリデーハッピー!な私に「どうして、そんなに人を嫌いにならないのか」と仲の良い友達から聞かれたことがある。それは、私が「嬉しい大好きラブ幸せ」が口癖になりつつあるからかもしれない。聞かれたときは、驚いた。


理解できない人だっている。合わない人だっている。だからと言って、それらが嫌いになる理由にはならない。自分と考え方が似ていれば、どこか「同じ」ところがあるんだろうし、理解できないには何かしらの「違う」ところがあるんだと思うからだ。それを追求するのが凄く好き。嫌だと思えば嫌だと言うし、好きだと思えば好きと伝える。小学生でもできることを今の歳になって出来なくなるなんて、おかしい。

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そして基本的に、好きになった人に対して嫌いにはならない。ああどうしてそんなに素敵なのかと問い続けていたいくらいに大好きになる。一言で言えばゾッコン。好きの度合いは違うかもしれないけれど。

 

もっと言えば俗に言う「飽きた」とか「冷めた」とかいう感情に関しては本当に理解に苦しむ。(これが十人十色というものなのかな。)   

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そんなことを考えていた夜に「誰にだって裏はあるものだよ。」と電話口で言われて“ ああ、私が見てきたのは、結局自分に都合の良いように見ていただけであって本質的な部分には携われていないのか ”とガックリ肩を落とした日がある。

 

そもそも何が表なのか、裏なのかっていうのは他人には分かり得ないものなのではないのか。見えない或いは見せていないだけで全部表なんじゃないか。一個人に任せられるものなのか。

   

 

   

考えれば考える程、グルグルグルグル分からなくなっていった。

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とは言え、人が大好きで人に興味があるっていうのが私であって。考え出したらキリがないからグルグルなって分からなくなったけど、私は押し付けだとしても相手がどう思おうが、気持ちを伝えるのは変わらない。そこまで考える余裕なんて私にはきっと無い。

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例え、裏と言われる面を見せられようが隠されようが、私にはそれが裏か表かなんて全く関係無い。じゃあもう今後、好きが小さくなろうが大きくなろうが、変わらず私の中に好きは存在していて、ゼロにならないのなら好きを伝え続けたらいいのではないかという結論で。

 

誰しも良いところ悪いところがあって、悪いところばかりに目がいけば、嫌いが積み重なるけれど、そのときに少しでも好きを見つけることができたら好きが積み重なってどんどん大きくなるんじゃないかなって思う。

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何を言いたいのか分からなくなっちゃったけど、私も主観で生きてるんだなということだけは書いていて分かった。

 

 

まあ、人生の主人公は自分自身なのだからいっか。とかいう絶賛ポエミーな終わり方で終わり。

 

2016/10/26