日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

日常の中にあった特別だったこと

日常に潜んでいる、あの特別感が好き。四年前から、日常的なことが特別だっていつも残してる。

       
誰かにとって「たかがそれくらい」で終わってしまうことに幸せを感じるようになるかもしれない。今はありふれている日常が、後になって愛おしくてたまらない時間になるかもしれない。

f:id:tnzoe3:20190115184500j:image

        

もちろん特別なことは好き。嬉しい気持ちになる。それでも日常の中の特別には敵わない。そもそも当たり前のことは何ひとつとしてないし、いま当たり前になっていることがいつまでも続くとは限らない。

f:id:tnzoe3:20190115182249j:image 

   

というようなことを散々言いつつ、いざ今を生きようとすると先のことを後回しにしているような気持ちになっていた。淡々と過ぎていく時間を、たまに「ああでもない、こうでもない」と巻き戻したり早送りしたりしたくもなった。過去にも未来にも振り回されずに、今を生きるって、なかなか難しい。

      

そういえば、そういう気持ちを行ったり来たりして始めたのがこのブログだった。あとになってしまえば、綺麗に美化されるような名前のない感情すらも残しておきたい。残すことで、ひとつひとつ、その時を大切にできると思った。

f:id:tnzoe3:20190115182343j:image

    
ブログもツイッターも、そういう色んなSNSに残そうと思った。日常を、残していきたい。そういうわけで、今年は日記を毎日書くと決めた。今のところ毎日書いている。続くか分からないけど、残していきたい。あと、写真にも。あ、絵にも。そうです欲張りです。

f:id:tnzoe3:20190115183844j:image

      
ふと、前に残してきた「その時」がフラッシュバックしていくかのように残せたらいいな。過去の記録ラッシュで、わたしの日常の中の特別をフラッシュバック。

     
帰り道に見つけたタコ焼き屋さんにふらっと寄ってシェアして食べるドライブも、スーパーの駐車場に停まって大音量で映画館風に見る動画も、車の中から「あの雲はオニギリのかたちだね」って言い合う日常も全部好きです。

f:id:tnzoe3:20190115182549j:image

    
見たかった映画はしっくりこなくて、偶然見つけた趣深めな建物はソープランドだったし、ラーメン食べたくて食べたつけ麺はあっさりしすぎてて最後までイマイチだったけど。公園でお酒片手に、これまでの事とか今後の話ができて良かった。

f:id:tnzoe3:20190115182654j:image

     
寒い中コンビニとかに、おでんとかビールとかを好きな人と買いに行って、公園とかで座って話すの好きって話をしてたばっかりだから、とってもしたくなった。

f:id:tnzoe3:20190115182759j:image


寒い寒いって言いながら両手で抱える「ほっとレモン」も、公園で座って食べる「淡麗とおでん」の組み合わせも、夜景と星の見える露天風呂帰りに行った「すき家」も好きや~!っていう駄洒落です。

f:id:tnzoe3:20190115182956j:image


小さい子がカッパ着て長靴履いてお母さんと手を繋ぐ様子だったり、水溜りから見える世界だったり高校生が相合傘をしていたり、晴れの日と同じくらい雨の日は特別だったりする。

f:id:tnzoe3:20190115183131j:image

   
春巻きの味が好きなのは勿論だけど、色んな具材を巻くっていう工程や食べるまで味が分からないみたいなプチイベント感が好き。小さい頃、お婆ちゃんと一緒に作ってた思い出まで浮かんでくるし、初めて知った時から春巻きがある夜ごはんって特別。

f:id:tnzoe3:20190115183255j:image

   
どうやら食べ物が多く出ているらしい。わたしの日常は食べ物に囲まれているってことなのか。人に良いと書いて「食」であるだけあって、心にも身体にも良いなんて最高すぎる。


最近というところで言うなら、片目がストレスで赤くなったというトピックがある。あんなにしたいように生きていても、ストレスというのは感じるらしい。きっと、これもしばらく経つと笑い話になる。

f:id:tnzoe3:20190115183623j:image  

    

というわけで誰にでもあるようで、誰にでもないような、わたしの日常を綴ります2019年。

    

2019/01/15

 

クリスマス

冬といえば、何を思い浮かべる?って話をしたら「クリスマス」と答える人が多かった。

f:id:tnzoe3:20181223074323j:image

       

今年のクリスマスに遠距離恋愛をしている友達が、世界一周をしている彼氏に会いに数十万円かけて渡米していた。「すごい!最高!素敵すぎる!」と反応したら「自分へのクリスマスプレゼント!」と彼女は答えていて何それ最高かよって思った。

f:id:tnzoe3:20181223074346j:image

   

この間、東京に行ったことを書き残しておこうと思ってる。久しぶりの友達と会う日で、緊張とワクワクが同時にやってきた。前の日に買ったとびきり可愛い洋服を着て、気分はもう東京の女だ。新宿駅の東口で待ち合わせて、傘をさすかささないか迷うくらいの小雨に濡れながら小走りした。

     
今回は、関東と九州で遠距離恋愛をしてる友達が「彼女に誕生日プレゼントを買いたい」というのに女友達と二人で付き合うことになっていた。

f:id:tnzoe3:20181223074409j:image

     
伊勢丹はすごくすごく人が多くって、人と人の間をぐいぐい行かないと先に進めないくらいだった。きっとクリスマス前の最後の土日だったからかもしれない。怒涛のプレゼントラッシュ。

    
プレゼント選びは、新宿の街をぐるっとまわって短時間では決まらなくてまた考えるってなった。ああ、もう、そんな時間が最高のプレゼントってなった。相手の喜ぶ顔を想像しながら、ああでもないこうでもないって選ぶ姿がもう素敵だなって思った。お金をかけたものじゃなくて、思いをのせたものが一番になる。

f:id:tnzoe3:20181223074530j:image

    
それからカフェに入った。喫煙所が外にある、昔ながらの喫茶店。本日のジェラートを、紅茶と一緒に頼んだ。ジェラートが溶けてしまいそうなくらい、話が止まらなかった。

f:id:tnzoe3:20181223074548j:image

    
三人とも遠距離恋愛をしている。共通点の多さからなる共感の嵐を期待していたら、全然違って驚いた。付き合い方を見直し始めていたり、結婚を前提に転職の話が出ていたり。話してみると三者三様、共通点が距離感ってくらい全く違う付き合い方だった。

    
人が違うから当然といえば当然なんだけど、ここまでかっていうくらい違って正直驚きを通り越して感動した。感動しながら、二人だから築けるものって多いんだなって嬉しくなった。

f:id:tnzoe3:20181223074601j:image

    
例えば、クリスマス。お互い仕事でクリスマスのクの字もないという関係と、クリスマスと記念日が同じタイミングにくるから相手が東京に来てくれるっていう関係。そもそもクリスマス自体に特別感を感じていないと各自で過ごす関係。本当に三者三様。

f:id:tnzoe3:20181223074620j:image

    
わたしの場合、最後の特別感を感じないパターンだったので向こうは仙台に、わたしは大分の湯布院で過ごすことになった。でもやっぱり直前になるとクリスマスは特別感があって。ツリーやイルミネーションを見ながらプレゼント交換とかしたいってなった。別の予定を入れて、楽しみで充実感は作れても特別感は作ることができない。

f:id:tnzoe3:20181223074643j:image

    
あれ、書いていると学びが止まらない~~ということで、終わり。みなさん、良きクリスマスを!悔いなき人生を!エンジョイ人生!

 


2018/12/23

すっかり冷え込む季節になった。朝、毛布から足を出すのに時間がかかるようになった。自動販売機に「じっくりコトコト濃厚コーンスープ」が並ぶようになった。夜の散歩で、肌にささるような冷たい風が心地良くなった。気付けば冬に囲まれてる。

f:id:tnzoe3:20181202182502j:image

   

冬になると、何を連想するだろう。

   

    

去年の十二月は、広島にいて会社の上司と仕事終わりに歩いて帰った。「解決の出来ないことに悩みすぎている。いいところが薄くなって勿体無い。お前は、俺が認めたダイアモンドの原石なんだから、はやく輝け。動け。」ずっと言い続けてくれていた言葉を、節目だからと言って改めて言葉にしてもらった。上司は、お父さんみたいな人だった。歩いて帰ってる隣で、部下のひとりひとりに一年間のお礼を伝えているのを見て、節目を大切にしている人って素敵だなと思った。私もこんな人になろうって思いながら、夜の公園を一緒に歩いた。

f:id:tnzoe3:20181202182704j:image

    

二年前の冬は、福岡だった。学生最後を謳って、仲のいい友達と福岡の中洲あたりの知らない飲み屋街を彷徨いてベロべロになるまで飲んた。朝方の帰りがけ、カラオケのエスカレーターの鏡で記憶が曖昧な中、集合写真を撮った。引越し前には、ダンボールに囲まれて淡麗のロング缶を乾杯したりもした。こうやって宝物が増えていくんだと思った。

f:id:tnzoe3:20181202183106j:image

      
三年前の冬は、当時付き合っていた人との記念日で、イルミネーションを目の前に振られた。体調不良の中で駆けつけてくれた友達と、普段だったら入らないような怪しげなお店に足を運んで「振られた記念だ」とお酒を何杯もサービスしてもらった。最後は友達が酔っ払って歩けなくなって、介抱してタクシーで帰ったら家の玄関にプレゼント。前もって用意していた彼へのサプライズプレゼントだった。目をつぶってベッドにダイブした。

f:id:tnzoe3:20181202183317j:image 

      

    

冬になると何を連想するだろう。

    
当時、エンドレスで聞いていた歌を聴いたら、そのときの感情や情景がぶわっと思い出される。無我夢中で目の前のことに向き合っていたことや、うまく進めなくて立ち止まっていたこと。

f:id:tnzoe3:20181202183157j:image

     
過去を振り返っていくうちに、今の自分に自信がもてるようになる。ああ、こうしたかったんだ、あの時から少しでも良い方向に変われたかなって、自分のしてきたことに自信が持てるようになる。

     

例えそれが、独りよがりだったとしても「よく頑張ってきた」と褒められるようになる。自己満足かもしれないけれど「あのとき頑張ってきたから、今もきっと頑張れる」とエンジンがかかるような気持ちになることもある。過去のおかげで、今が作られてる。

f:id:tnzoe3:20181202183213j:image

    
今の自分の気持ちが、過去に対する思いに影響することだってある。プラスの意味か、マイナスの意味かは分からないけど「あのときがあったから、今の自分がいる」と思える日と、そうでない日。正解なんて分からないことがほとんどで、進んでいくうちに「これで良かったかも」と思える。

f:id:tnzoe3:20181202183333j:image

    
節目を節目と捉えなければ、淡々とすぎる日常に過ぎないんだろうけど、たまには立ち止まって深呼吸するとか昔の自分と会話をするとか、そういうの大事だと思った。節目を大切にする人は、素敵だ。

f:id:tnzoe3:20181202183445j:image

    
それは過去にしがみつくとかそういうんじゃなくて、過去とハイタッチするくらいの軽い感じで。師走と呼ばれる十二月だからこそ、ホットミルクを飲みながら、ゆっくり冬を思い出すのも良いんじゃないかって思った。

   

2018/12/02

 

妹と姉のような存在

使っているシャンプーが同じとか、本棚にある本が似ていたとか、ちょっとした「同じ」や「似ている」ところを見つけるとグッと心の距離が近づいていくのが分かる。感覚が似ているかも、と嬉しくなる。名前は出さずに紹介する、自分の友人メモリアル四号目。

f:id:tnzoe3:20181118202438j:image

     

気付けば彼女とは、三年ほどの付き合いになる。ひとつ下の後輩ちゃん。でも一緒にいると自分の抜けているところが、どんどん露呈していく。それくらい、しっかりしてる。とても柔らかくて穏やかで、一緒にいると心が弾んだり癒されたりするのが分かる。心地よい空間が、彼女と過ごす時間には必ずある。妹でもあり姉でもある、そんな存在。

f:id:tnzoe3:20181118203106j:image

     
むかし流行った洋画「YES MAN」の主人公のように、頼まれたこと全てを受け入れて取り組んでいた時期に彼女とは出会った。いくつか所属していた団体のひとつだった。

  

    
三年前の六月、その学生団体のキックオフ合宿で、ひとりひとりが決意表明をする発表前に体調が優れない彼女を見たのが初めてだった。思えば、その時に似ていると思っていた。

f:id:tnzoe3:20181118202900j:image

        
それから数ヶ月が経って、その学生団体は辞めることにしたんだけど、辞めてからの方が会うことが増えた。話すことも増えた。当時の恋愛の悩みや家族のこと、仕事のことや思い出。話せば話すほど、共通点が増えていった。数ヶ月に一度の頻度で会っていたけど、そんなの感じないくらいの時間だった。大事なのは、心の距離だと改めて思わせてくれた。    

f:id:tnzoe3:20181118203034j:image

    

そんな彼女が、会っていない数ヶ月の間に体を壊していることを知った。会えるならと会いに行った。どんな悩みも、一緒に笑い飛ばして乗り越えようと思った。九州に帰ってきて良かったと思った。

    

シェフの料理の説明が少し長いくらい丁寧で上品なお店で、会っていない間を埋めるように夢中で話を交わした。知らないうちに、弱りきっていた彼女が目の前にいた。

f:id:tnzoe3:20181118203050j:image 

  
彼女の弱った理由は、ここでは書かないとして、この文章を読んでいる人は目の前で自分の大切な人が苦しんでいたらどうするだろう。

    
話を聴くとか経験談を話すとか、会いに行くとか出来ることが限られていて。自分の出来ることなんて、たかが知れていて苦しさを縁取って際立たせているようにさえ感じた。負の感情を倍にしてしまうかもと思うと、何も動けなくなりそうだった。でも、自分のエゴをエゴだと認めた上で、相手のために出来ることを最大限しようと決めた。それは悔しくも悲しくもあるけれど、等身大の自分でしか向き合うことが出来ないから。

f:id:tnzoe3:20181118203124j:image

    
結局わたしが決めたのは、一緒にいる時間を少しでも長くいることだけだった。

   

以前、彼女は、わたしのことをブログに何度か載せてくれていた。「嬉しい」「楽しい」「幸せ」などの感情を包み隠さず、思い切り出せる相手だと言ってくれた。だったら今度は、例えそれが負の感情だとしても同じように思い切り出してくれと思った。

f:id:tnzoe3:20181118203154j:image 

         
朝、一緒に飲んだ紅茶はストレートだったのに、甘くて温かくて落ち着く味だった。特に何かが出来た訳では無いけれど、そういうホッと一息つけるくらいの癒しを与えられたらと思った。

f:id:tnzoe3:20181118202500j:image

      
大切な存在であればあるほど、どうやって力になれるかと思考がグルグルして何も出来ないと嘆く繰り返し。でも、そういう時こそ等身大の自分で出来ることをするしかないんだなと改めて思った。そもそも、誰かのために何かをしようなんて烏滸がましい話だったけれど、少しくらいは役に立つ人になりたい。

    

2018/11/18

遠距離恋愛のはなし

遠距離恋愛ってどんな感じ?

最近は、特によく聞かれるようになった。それから、恋愛相談をされることも増えた。

f:id:tnzoe3:20181013184950j:image

     
聞かれた相手と話していると「自分は、遠距離なんて絶対無理」とか「そもそも浮気されそうじゃん」とか「過去に遠距離恋愛して失敗した」とか「寂しくないの?」「いい感じになってる人はいるけど、遠距離は付き合う勇気がない」とかとかとか。ちゃんと聞いてみると、色んな背景があったりする。

f:id:tnzoe3:20181013185003j:image 

      

私の結論は距離があるとかないとか、「そんなの関係ねえ」とお笑い芸人のネタの一言で纏められると思ってる。そもそも付き合う相手が違えば、自分も結構変わることが分かった。一括りになんて、出来ないもんだ。(感情が高ぶった)

     
誰かを好きになると、嫌な自分にも好きな自分にもなる。嫌いな自分のときなんて、もう向き合いたくなさ過ぎて別れた方がマシ!って好きな気持ちに蓋を閉めたこともある。まあ、自分から逃げただけなんだけど。

   

相手が違えば尚更、恋愛のカタチは変わる。やっぱり結論、そんなの関係ねえってなる。そして、それでも付き合っていたいと思ってるから、私は付き合ってんだろゴルァってもなる。(巻き舌はできない)

f:id:tnzoe3:20181013185030j:image

     
でも、たしかに距離があることは壁になる~って思ったことはある。うわ~これが遠距離の壁か~!!!ってなったことだってある。寂しいとか会いたいとか虚しいとか負の感情が、ぐはぁって。

      
会いたい時に会える距離にいたら、しんどい時は無力ながらも役に立てるかもしれない。近くに一緒にいて、色々知ってる人の方が頼りやすいってことだって分かる。良い意味でも悪い意味でも、言わなければお互い知らずに終わることは山ほどあるのも知ってる。

f:id:tnzoe3:20181013185134j:image

     

ただ、そんなの全部を距離が理由ってはしたくない。付き合っていることで少しでもプラスになりたいって思ってたのに、変えられないことに不平不満を募らせたところで何にもならないから。マイナスになるようなことをプラスに出来るかどうかなんて、そんなの全部自分ら次第じゃんってなる。

   

だから私は次会う日までに、魅力アップだ〜って意気込んで「なりたい自分」になれるように努力することにしてる。絵を描くことも、文章を書くことも、仕事もプライベートも。うわ、やっぱり良い女って思われたいなって女の子なってる。距離を味方にしていくと決めました。

f:id:tnzoe3:20181013190723j:image

     
両思いよりも、片思いのときの方が良かったって世間でよく言われるのは、当たり前の基準が変わるからだよねって親友くんと話してた。ああ、本当に色んな話が出来る親友くんラブ。

     
返信が来るだけで嬉しかった片思いも、付き合うと返信が来るのが当たり前だと思い込んでしまう。電話が連日出来るだけで嬉しかったのが、電話が来ないと寂しくなる。

     
関係が変わるだけで、欲張り過ぎるくらいに求めてしまうようになりがち。急に自分の都合を押し付けるようになる。不都合になると文句を言う。いやいや待ちなされってなる。相手だってひとりの人間じゃん、ね。(いきなり語り口調)

f:id:tnzoe3:20181013185309j:image
 

両思いが目の前にあっても、その一歩が踏み出せなかったり、両思いで望んでいた関係のはずなのに、相手や自分が嫌になって離れようとしたりするのは、きっと傷つくのが怖いからなんじゃないかな。人生そんなに甘くないじゃん、少しくらい傷付くことだってあるよってなる。

        
「何か言ってほしい」とか「返信が遅い」とか、そういう何かに対する不満は、自分の欲が強くなっている証拠だと思う。相手に求め過ぎなんじゃないかっても思う。自分のことしか考えられてないんじゃ?ってなるから一旦考える時間作ろう大作戦です。

f:id:tnzoe3:20181013190708j:image

    
だから付き合ったから自分のもの!!って所有物みたいになるよりは、どんどん色んな人と関わって好きな自分への道をレッツラゴーのすけ!ってなる。その上で、相手を優先したいとかそういう感情が愛ってやつじゃん(今いいこと言った感すごい)

    

いやはや恋愛の相談事を受けると、自分の考えも整理されるなってつくづく思いました。今週も良い週末です。


2018/10/13

大好きなお祭りの話。後

今回のボランティアには、特別な思いがあった。第十回目っていうのもあったし、大好きな人達で溢れる回でもあった。

f:id:tnzoe3:20180916233647j:image

      
前職で出逢った特別な存在の教え子ちゃん。高校からの恋愛アドバイザーの親友ちゃん。人生を変えてくれたキーパーソンの先輩。お付き合いをしてくれてる大好きな彼氏くん。付き合うきっかけを作ってくれた人。大好きな友達と友達のカップル。ああもう数えきれない。大切な存在の大集合だった。行く前から最高に楽しみだった。

f:id:tnzoe3:20180916233758j:image

     

小さい頃からの憧れだった「先生になる」っていう夢が、今回のボランティア参加で対策不足が理由で「また来年」になっても良いって覚悟で参加した。それくらい、今回のボランティアは絶対絶対参加したかったし、悔いのないかたちで参加を終えたかった。だから、どれだけ反対されても曲げなかった。

f:id:tnzoe3:20180916234531j:image

        

とはいえ自己管理能力が低過ぎて、みんなが作業をしているときに昼まで寝てしまった日もあった。ボランティアは休みたいなら休めるし、動きたいなら無限に動くことができる。ただ、「悔いのないように動く」って決めたのにって速攻口だけの人間になっている自分に、落胆した。ある意味ここから巻き返すぞってなった。失敗経験って大事だ〜

f:id:tnzoe3:20180916233900j:image

      
楽しみながらも、悔いのないくらい動くって決めてやってきた本祭の朝。既に疲れがピークに達していて、手足の先まで疲れで痺れてるし腫れていた。周りの人は、いつもこれだけ動いてくれてたんだって気付いて泣きそうになった。色んな感情が、初めてだった。

f:id:tnzoe3:20180916233929j:image

     
無い頭をグルグル回転させて、動いて動いて動いた当日。少しだけ背伸びしながらも、等身大の自分で、できる最大限で楽しみながら動いた。他の動いてくれている人に、休む時間を少しでも作れるように、自分ができないところは周りを頼った。頼らせてくれる周りに感謝が止まらなかった。

f:id:tnzoe3:20180916234006j:image

     
終わった後に後悔しないように、終わった時の自分が好きな自分でいれるように、動いた。これまで参加してきた自分だから出来ることを思考グルングルンで動いた。空回りしていたかもしれないけど、最初から最後まで楽しかった。帰りの時間の関係で、お祭りは最後までいれなかったけど最高だった。完全に自己満足だけど、充実感たっぷりだった。

    

ずっと前から、何かの終わりが散らつく瞬間が苦手だったはずなのに、笑顔で帰る自分がいた。涙とか悲しい表情とか全くなかった。スッキリしてた。

f:id:tnzoe3:20180916234038j:image

       

そして終わった後の現実に戻される。帰ってきて、試験は二日後。試験内容は、模擬授業・面接が二つ・水泳・ピアノ弾き歌い・英会話・小論文。四日間。対策をしている期間、周りと比べたって何にもならないのに、どうしても比べてしまう自分がいた。

f:id:tnzoe3:20180916234123j:image

       
そうして不安がピークに達して、解決の出来ないモヤモヤした感情を取り除きたくってどうしようもなかった。誰かに頼りたい時に限って、頼り方が分からなかった。

     
「不安だし全然自信ない」ってとうとう耐えきれなくなって弱音を吐いたら「これまで約一週間、好きなことして楽しんだんだから四日間くらい頑張れ」って言われた。やれるだけやろう、終わった時に好きな自分でいれるように言い訳せずに向き合おうって気合いを入れ直した。

f:id:tnzoe3:20180916234227j:image

      
試験当日、心臓の音が身体の至るところで聞こえるくらい緊張した。多分、寿命が縮まった。「悔いなき人生にする」って何度も言い聞かせて、人という字を掌に何度も書いては飲み込んだ。四日間が終わった。

     

そして今週の金曜日、合否発表だった。受験番号AE292。続きはウェブで。

https://www.pref.saga.lg.jp/kiji00364557/index.html

     
いま、好きな自分で生きていけてるなってなった。好きな人達に囲まれていつも生きてる。笑顔がたくさんの人生って、最高に心地が良い。ありがとうが、ありがとうを生む。好きが好きを生む。このサイクルって最高だなって思った。


2018/09/16

大好きなお祭りの話。前

ずっと前から、何かの終わりが散らつくあの瞬間が苦手だった。何度『最後まで全力で楽しめばいい』と言われても「もっとああしたかった」「ずっとこうしていたかった」がそれ以上に出てきてしまって、数時間後の別れの寂しさと悲しさを倍増させていた。

f:id:tnzoe3:20180901195510j:image

     

今年の夏は、平成最後の夏だったらしい。花火や浴衣、バーベキューに海にと青春という言葉が似合うほど夏を謳歌している人達が声を合わせて言っていた。それを聞いて、ああそうなんだと興味ないフリをしていた。

     
私の今年の夏は、あの「かとり」だった。というか二年前から決まって「かとり」だ。プライベートをよく知る人は「あれね、蚊取線香ね。高知県ね。」と冗談を交えて言ってくる。夏を匂わせる蝉の鳴き声が聞こえるだけで、かとりへの気持ちが高まっていた。紅葉が無くても気分紅葉だった。

f:id:tnzoe3:20180901195544j:image

      
二年前に初めて参加したボランティア。地域住民の人口が減って、閉じてしまっていた高知県の小さな地元にあるお祭りのボランティア。ステージから清掃、お化け屋敷まで作り上げる。

      
全国から集まるボランティアスタッフは「旅人達」と呼ばれていて、誰でも歓迎される空間がそこにある。そして本当に、世界や日本を周っている旅人さんも多くって、話をするだけで気持ちが高揚する。知らない世界がたくさんある。

f:id:tnzoe3:20180901195851j:image

     
インパクトやデッキブラシとか、草刈機とか。触れたことすらないものを「やったことがないなら、やってごらん」と丁寧に教えてくれて、任せてくれる。関係が築けての信頼というより信頼するから関係が築ける、そんなことまで教えてくれる。ああ、大好きが止まらない。

f:id:tnzoe3:20180901195916j:image

    
日中は、ひたすら各自の持ち場に別れてボランティアの作業をする。ボランティアだから、強制をされない作業量。でも皆が自分から動いてる。夜は毎晩のように宴。もちろん打ち合わせもある。毎晩のように温泉に入れてくれる。寝床も用意してくれる。美味しいご飯もある。阿波踊りも教えてくれる。

f:id:tnzoe3:20180901195937j:image

    
「ボランティアが楽しまないと、お祭りに来る子ども達は楽しめない。ボランティアが笑顔じゃないと、子ども達も笑顔になれない。」

     
二年前からヒロ君が伝え続けてくれている想い。お祭りのボランティアである「旅人達」がここに集まるのは、ヒロくんの温かさや考え方に共感するからだし、恩送りと同じくらいヒロ君に恩返しをしたいって人がいるからなんじゃないかなって思ってる。

f:id:tnzoe3:20180901200001j:image

    

とまあ、お祭りの魅力や概要は「来たらわかるから!」の一言に尽きる。それよりも、私は自分の感情をメモリアルしたい。ので、する。

    
話は戻って、受かると思っていなかった採用試験が通り、最終試験が夏祭りの本祭三日後という現実が八月頭に押し寄せて来た。帰ってから二日しかないという現実があったばっかりに周りとかなり揉めた。ボランティアに参加すること自体を否定的に言われた気持ちになった。何度も止められたて、その度に「伝えたい人に伝えたいことが、伝わらない」を繰り返した。放たれる言葉ひとつひとつが痛くて苦しくて辛かった。

    

あれ、書いたら書いたで長文が過ぎる。前半は終わりにする。綴りたい感情が多すぎました。またね。

f:id:tnzoe3:20180901200320j:image

2018/09/01