魅惑的なひと
同性でありながら「女性的な魅力」を感じる友人がいる。そんな彼女を、名前は出さずに紹介する、自分の友人メモリアル一号目。
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女の中の女であり、スマートでセクシーな印象。会う度に魅了されている。久しぶりでもそんな事を感じさせずに、時間を巻き戻してくれる。そして相手にとって、プラスアルファな時間に必ずしてくれる。
彼女は最高のパフォーマーだと思う。そしてプレゼンターでもある。本や経験から得た学びをプレゼンしてくれる。本を読むより、自分が経験するよりもずっと、充実感のある時間だった。
それだけじゃない。家に入ればバーテンダーにも料理人にもなった。人脈を目の前の人のために繋いでくれるマッチングのプロにもなった。起きうるトラブルを解決に導く占い師にまで、なる。そして、東京でベンチャー企業で働いている。
仕事ひとつだけではなく、いくつもコミュニティを持ち、その場に応じて何にでもなれる彼女が羨ましかった。
真面目な話からフランクな話までをしてくれた。話題が豊富で、ニーズに合わせて引き出しから相手が喜ぶものを選び出してくれる。こんな人が近くにいてくれたら、最高だろうなと会う度に思う。
そんな彼女の部屋には本棚に収まりきらないほどの本があった。私も本を読む方ではあるけれど、比にならないほどのジャンルの豊富さ。きっと彼女の魅了性は、努力の賜物だった。かっこいい、シンプルにその一言だった。
「本を読む」ということは、自己完結で終わりやすいと思っている。情報のインプットだけで終わりやすい。ただ彼女の場合は、インプットしたものを実践していたという過去があった。
水商売で働いていたことのある彼女は、相手がどんな人なのか関わる前から分かっている。新しいお客さんにも来てもらうために恋愛のマッチングアプリを使っていて、顔を見るだけで相手の性格がわかっている。
「こういう人は、大体こういう人だよ」と統計学の授業がずっと楽しくなるんじゃないかと思うくらいに分析されていた。見る目が鍛えられている、そんな風にも見えた。
「経験値に勝るものはない」ということは何度も感じてきていたけど、その経験値がグッと上がるかどうかは「その経験に学びがあるか」なんだと、彼女から改めて教えてもらった。
魅惑的なのは、人を魅惑するための才能と努力があったからだった。経験は力なり、その背景に見えない彼女がいて、それがとてつもなくかっこよく見えた東京初日だった。
2018/06/05
日常と、決めたこと
午前七時。
おばあちゃんとの電話で毎朝目が覚める。
「おはよう。今日は六時半に起きました。」
から始まる話の内容は毎回特にないけど、気づけば五分は話している。どちらかが必ず笑っている。
電話の終わりはいつも「今日も一日ファイト」とお互いに言って、終わったら布団に潜る。
最近の朝は、電話のあとに二度寝をしてバタバタと家を出る。路面電車で通勤するよりもバスで通勤する方が早いということを知って朝の余裕が出来た。ちなみにバス停の近くにある自販機のレモンスカッシュが最近のお気に入り。という、どうでもいい話もすこし挟みながら日常を記録してみる。
バスに揺られて職場に着く。バス停に着くまでに二百円を両替して「ありがとうございました」と同時に二十円のお釣りを手に取る。右ポケットにその十円玉ふたつを入れっぱなしの日もある。
職場には、いつも出勤時間の三十分前には着いて準備をする。上司が来る前に、すること全部終わっている日は心の中で小さくガッツポーズ。
休憩が短い時は五分のときもある多忙な業務をしながら笑って眉間に皺寄せてな毎日。仕事を終えて、原爆ドーム近くの橋を渡りながら帰路に立つ。橋の上から見る、川に反射する街灯は結構好き。
そして一日の終わりには決まって「今日はいい日だ。」が言葉になる。そのうち「今日もいい日だった。」が口癖になる。
そんな毎日を過ごすのが残すところあと少しになったので記録することにした。色んなタイミングが重なって、予定よりも早く次のステップにいくことになった。いわゆる、退職というもの。
しかも人生で初めて職場での後輩、新卒くんがやってきたこのタイミング。新卒くんがやってきた日、言葉に表現できないくらいに可愛くて何でもしたくなった。理由のない愛情ってこういうことかと思った。突然お節介おばちゃんに変身した。
思い返せば、彼と同じように今の職場に入った日には想像ができない経験をさせてもらった。PCの授業、公務員の授業、大学での授業、退職者への授業、英語の授業、国家資格の授業。営業、面談、カウンセリング、案内。なんだか、自分でもすごいなと誇りに思う。
二年前の誕生日。
人生で初めて弱い部分も強い部分も魅せてくれた人のいる会社に内定が決まった。銀座にあるタリーズで面接の三時間前に社長の写真を見ながら面接のイメージをしていた。面接会場の壁に大好きなアインシュタインの絵があったのは忘れられない。
それから約一年後の二月のバレンタイン。
「この人からたくさん学びたい」と思った面接官だった上司のいる広島に配属が決定。顔合わせの懇親会で「お前はすごいやつになる」と評価してもらえたこと。なかなか結果が出なくて「できない自分」から目を背けたかったこと。
それでも自分の成長が相手のためになることが仕事になる職種に感動していった。幅広い年齢層や職種、境遇の人と広く深く関わることができることで視界が広がった。自分の当たり前が当たり前ではないということを知ることができた。
学びたいことが学べる、と自分の決断に間違いがなかったと思えることが嬉しかった。
世間に存在する遠さと身近さを感じたこと。
自分の良いところも悪いところも受け止めてくれる環境があった。苦手な「数字の世界」と「ビジネスとしてやっていくこと」から見えることが増えた。世の中に揉まれる感じが、嫌でもあり好きでもあった。
気づけば勤務するのは、あと七日。
仕事を辞めるということは、世間様に言えば「なにするの」「何考えてるの」となる。でも、わたしの場合は少し違って有難いなと思った。
喜んでくれる人や応援してくれる人が圧倒的に多くて驚いたし嬉しかった。悲しんでくれる人や寂しがってくれる人もいた。そして何度も止めてくれる人もいた。色んな人が近くにいてくれたんだと改めて気づかされた。
長く生きていけば、環境も求められることも求めていくものも変わってくる。その度に試されているような、試しているような気持ちに何度もなる。肯定と否定を何度も繰り返して、あとから後ろを振り返ったときに「変わった」と実感する。
本当に、一人じゃ何も出来ないと何度も何度も感じた。情けないし嫌いな自分が出てくるし、これでもかってくらいに自分に呆れて苦しかった。でもその度に、周りに何度も何度も救われてきたんだと思う。
あとすこし、この感謝を返せるように、ラストスパート、もう少し頑張ろうと思う。
2018/05/23
わたしの理想像のひと
母は、偉大だ。超えられない理想の女性だと思う。歳を重ねるにつれて、わたしのお母さんほど、最高な母親はいないと思う。私もそんな母親に、女性になりたいと何度も思ってきた。今日のはなし。
仕事が一日休みだったので、新幹線と特急を乗り継いで日帰りで実家に帰った。しなければ行けないことを諸々済ませて、久しぶりに母親と二人でお茶をした。
時間があっという間に過ぎていた。気付けば駅に向かわなきゃ行けない時間で、わたしの話も、お母さんの話も、話し足りないという感じ。お母さんとの、こういう時間は昔から好きだった。
誰かと話すとき「これまでのこと」「いまのこと」「これからのこと」この三点セットを色んな話題で話せる時間が大好きだと思うようになったのは、この人からの影響が一番大きいんだろうな。
進路に迷っていた学生のとき、母親の経験値の高さに度肝を抜かされた。これまでもずっと近くに居てくれていたはずなのに、まるで別人かのように感じた。色んな選択肢を見せてくれる。見えない世界を教えてくれる。尊敬の意が凄かった。ただでさえ味方になってくれるスーパーマザーなのに、それ以上の存在だと気付かされたタイミングだった。
「育ちが良いね」と言われてきたのは、母親のおかげだと思っている。礼儀であったり気遣いであったり、人との向き合い方、仕事との向き合い方、自分との向き合い方。全部全部、何気ない会話から常に教えてもらってきてた。
誰かに自分を褒めて貰えるのは、こういう家族だったり周りのおかげだと心から思う。本当に与えてもらってばっかりで、何かを返すことは出来ているのかな。恩送りもそうだけど、やっぱり相手に同じように返したい気持ちが強くなる。
そんな母親と初めて恋愛の話になった。「これまで」と「いま」と「これから」を話すことができた。正直、恋愛の話は、結婚相手と決まる時でないと言うものではないと思っていた。
学歴や経済的に安定していて、誰もが認めるような理想の結婚相手とかでないと、そもそも恋愛対象として見ること自体を否定されると思っていた。両親に認められる人は、余程のことが無い限りいないだろうと思っていた。
「徐々に気になっていって、その人と付き合いたいと思った」ということを伝えることすら躊躇していたし、そもそもどういう顔で自分の恋愛観を話したらいいのか分からなくて話して来なかった。
と、色々言わなかった理由や言い訳は幾らでもあるんだけど、ひょんなことで話すことになった。想像とは違ったの時間になったし、そこでもやっぱりお母さんは偉大だと感じた。
やっぱりお母さんは好きだし偉大だし、俗に言うマザコンなのかもしれないけれど、身内にこんなにも尊敬できる理想像がいて幸せです。わたしも早くそうなる。そして周りに恩返しをしていくって、メラメラと感情を高ぶらせてる。
2018/04/20
ここ最近の全部
「どうしたらいいのか分からないのと、どうしようもできないのと、どうにでもなってしまえというの。」と全てにおいて投げやりになったことがある。答えのないことをエンドレスで悩んで苦しくなってた。高校生のときも同じようなことがあった。変わってないな、とも思った。成長していないと何度も同じ壁にぶつかる。
変わらないと変わらないとって、何度も思ってきて、それなのに何をしても変わっている感じがしない。何回も不安になるし、情けなくて「嫌だ」と全てを投げ出してしまいたいを繰り返す。
苦しくなると、「逃げたい」気持ちが強くなる。逃げても意味がないということは分かりきっているのに、逃げたくなる。目を背けたところで、何もない。逃げた先には嫌いな弱い弱い自分がいるということは目に見えている。というのを何度も繰り返す。その度に、ちっぽけだと自分を小さく感じる。
「逃げ」は、立ち止まらず、動いている証拠だと捉える人もいるけれど、そう簡単にも思えなかった。自分に対しては特に、いいように言っているだけの、言い訳に見える。
だからこそ、そういう弱いところを見せるのは苦手だし、自分が弱音を吐くこと自体、周りにはデメリットに感じる。期待値を下げて自分へのプレッシャーを減らす、そんなときに言うもんだと思えた。故に頼りたい時にヘラヘラとして、頼ることができない。自分から離れていこうとしてしまう。
強いところ弱いところ、どちらもあって「その人らしさ」が出てくる感じが好きと昔から言っている。そういう人間味溢れている素敵な人が周りには多い環境で過ごしてきた。
強いところばかりを見せる人は、プライドの高い人が多い。かっこつけたがる人は、弱い自分を見せないことが多い。かっこわるい自分を見せるのは、ある意味で自分の弱いところを公開することになるから、なのかもしれない。痛い程わかるし、わたしもそういうところあるし、あった。
強さも弱さもあって魅力を感じるんだと言っている癖に、「弱いところ、全く見せようとしないよね」と言われた。距離が一番近くあってほしい存在に言われた。情けなかったし、言われてぐうの音も出ないくらい腑に落ちた。人は弱いものなのに、強く見せようとする。強くあろうとするあまりに、弱いのを隠したがる。自分にとって、大きな存在の人から言われる言葉は響きやすかった。
そういえば、前に付き合っていた人と別れたのも自分のこういうところが原因だった。同じ壁にぶつかる、というのはこういうところでも繰り返されるのかっていう驚き。同じことは繰り返したくないし、繰り返さないようにしてくれるので本当にありがたいと思う。全力シェイシェイ。
周りに強さと弱さの開示を無意識に求めている一方で閉鎖的に独りよがりになっている自分がいた。この情けなさは、忘れずにいようと思った。そういう、とても欲張りで自分のことを棚に上げる部分は、良いように見ないでいた、見てこなかったんだと嘲笑った。
頑張らない理由は、幾らでもそのへんに転がっている。頑張る理由も、同じように沢山転がっている。
だからこそ、ちゃんと自分で向き合わないと甘やかしてくれる環境も厳しすぎる環境も、自分次第でいくらでも変えられる。
変わるのは、変えようとしないと変わらない。重たい一歩は、自分から動かさないと変わらない。ちょっと不安だけど頑張ると決めてから、変わる一歩を三月は踏み出せたので、これからが勝負だなってなりました。
強い自分と弱い自分、どちらも自分だからこそうまく付き合っていこうと思う。少しずつ、少しずつ。そして、何が正解か分からなくなったら、きっと自分にしか目が向けられていない時。そういう時こそ周りに目を向けようと思った。踏み出します。
2018/04/04
ちょっと、頑張ろうと思った
昼間っから泣いて何してんだ自分。という風に自分を俯瞰して見て思った。
そういうときに「頼ってね」と言われてもどう頼ればいいのか分からない。頼ることのメリットが見えない。相手に負の影響しかないように見える。自分が楽になるっていっても、それは甘えに感じる。お互いにマイナスになることを、しようとは思えない。
そうやって自分で全てを解決しようとするから出来ないが増えていく。自分の中で解決できんくなった。
「できない」が続くと、どうしても苦しくなる。そういう出来る出来ない、気にする気にしないを、決めるのは周りではなくて自分。その判断基準を高めるのも低めるのも自分。
「出来ない」というのは、「出来」るまでやってい「ない」らしい。ああ、もう、だめだ〜ってなった。わたしはそんなに強くない。むしろ、弱い。
強さを求めるばっかりに、自分の中の弱さが剥き出しになる。弱さが露呈するから、強さを求め続けてしまう。もっと、こうなりたい。もっと、こうあるべきを言い聞かせる。愚直という言葉を自分でも自覚するくらいには、不器用だと思う。
でも、やっぱり出来ない。出来るまでやっていない。出来るまでやろうと思えない。嫌いな自分がたくさんやってくる。最近は周りから「少しぐらい、自分を褒めてあげなよ」って言われることが増えてきた。褒められるようなことは何もしていないのに、どこを褒めるのか。出来ていないことが多いのに、たった少ししかない「出来た」を過大評価して何が残るのか。とも思う。
小さい頃に、お父さんから「『でも』や『だって』を付けるとと言い訳が続く」と言われてきたのを思い出す。言い訳をするくらいなら、もっと我武者羅にやれよ、と。したいように、するのが一番だと思う。したいようにしないのは、そこまでの熱量になる。
私のしたいこと、私らしさってなんだろうとなったときに、確信が持てなくて「私らしさはこういうところです」と言い切ることができない。もっと周り見ろよっていうのを自分に思う。でも、私らしさを自分で分かっているのは、かっこいいなってなる。欲張りだ。葛藤ってこういうことか、と思う。
弱さを見せることを、受け入れてくれる人がいるっていうのを最近知った。なんと、幸せなことだろうとなった。分かってくれる人がいる、そういうのだけで感謝しかない。
強さも弱さも見せ合える関係が好きなのに、なかなか弱さは見せる勇気がない。自分で弱さを認めてしまった先を考えてしまう。こういうのは考えすぎなんだろうな、とも思う。
正解なんてきっとないのに、求めてしまう。正解を求めるから、苦しくなる。自分で正解にすればいいのに、失敗とかそういうのを恐れている自分がいた。
うまくいくかは分からんくても、動いた先に見えた事実を受け入れる。きっとこういうのが、今の自分に足りないんだと思った。ちょっと、勇気を出してみようと思った。出来るかわからないし不安だけど頑張る。
2018/02/27
エブリデーハッピー
自分のことを話している人のブログを読むと、素敵だなと思う。だから今日は少しだけ、自分のことを話してみる。今日までの自分紹介。
小学生の時、
地毛が茶髪でヤンキーと呼ばれてた。
それでもクラスでは学級委員長を任される位置。成績は常に九割以上。習い事はたくさん。ピアノ・英語・テニス・水泳・料理教室・歌とか数えきれないくらい。長期休みは十二時間以上勉強漬けの毎日だった。ヤンキーなのにエリートっていうギャップが自分でも好きだった。
中学校は私立の中学校を受験し合格。ここではエリートが沢山だった。同級生の趣味は乗馬とか、別荘があるのが当たり前の世界。お金持ちだらけ。地下室のある部屋って、なんだよって思ってた。
成績では目立つことが難しかったから、他で前に出るようにした。体育祭応援団、ダンス、弾き語り、アート、青年の主張コンテストで採用。ひとつが駄目でも視野を広げたら、なんでもあると思った。
まあ「一番成績が良くないと、リーダになっても無意味。」みたいなことを、担任の先生に言われたりもしたんだけど。それがきっかけで成績はあがったので、結果オーライ。
高校はシンプルに勉強と部活。青春といえば、この時期、というくらいにがむしゃらに頑張った。朝は始発で部活の練習、朝の課外授業、授業後の部活、放課後の課外授業。帰って0時を過ぎるまで塾で勉強。部活は山を八周走ったこともある。持久力が無さ過ぎて練習についていくのが必死だった。辞めたくても辞めさせてくれなかった顧問と部員のおかげで、第一志望の大学に合格。
小学校免許取得ができて、お婆ちゃん家の近くの大学だった。
入学してからは「先生になる」ために必要なこと全部を吸収しようとした。3つ上の学年が受ける教員採用試験対策を数万円払って受講したり、大学教授の学外講演会に参加したり。一週間勉強だけをする合宿に参加したり、学外サークルをしたり意識は高かった。倒れたり吐血するくらい自分のキャパを超える活動をしてた。いま思えば、頭悪い。
学内サークル、学外サークル、県外での活動、社会人との活動。先生だけしか見えていなかった自分の将来を見直すようになった。教員採用試験の勉強と就職活動を並行して進める。
人生で初めて「強さ」だけじゃなくて「弱さ」も見せてくれる大人と出会った。本気で向き合ってくれた。気付けば選考終わりに「選考の合否に関わらず、貴方から学びたいです」と猛烈アピール。「名刺は渡せないから内定もらってね。内定式で待ってるよ」と言われ選考終了。
その後も選考を受けて、無事に自分の誕生日に第一志望の企業に内定をもらう。斜めに傾いた誕生日ケーキで祝われた新宿での夜は忘れられない。
四月に入り、なりたい自分になるために、やりたい仕事ができるようになった。「社会人なのに毎日楽しそうだよね」と言われて、嬉しかった。たしかに、楽しい。
学生のとき、社会人になったら好きなことができなくなると思っていた。社会に出るのが、少しだけ嫌だった。でも、全ては自分次第だった。悩んで悩んで悩んで定まったものは、強い。
小学校の頃「何にでもなれる」と思えるくらい習い事が出来たのも、全て家族のおかげだった。中学校で、高かったプライドをへし折られて、視野を広げる大切さを学べた。高校で「人生で一番勉強と部活がんばった」っていう経験は一生ものの宝で。大学のときに、出会った人達は人生で間違いなく一番大切な存在。社会人になって自分の弱さ強さと向き合うことができる毎日。いや、なんかもう、幸せなんだと思った。書きながら全て繋がってるなって、なった。
回り回って世の中全部うまくできてる。
この間、香川県で出会ったおじさんに
「他はいくらでも変えることが出来るけど、自分の人生は誰にも変えられないからね。自分の人生を自分なりに、自分で生きるんだよ。」
と言われた。
言葉に重みしか無かった。好きを、自分を貫いてる強さ。私もいま、きっと他の誰でもない自分の人生を歩めているんだと思う。だから楽しい。だから毎日が幸せだと感じることができる。
エブリデーハッピーは、自分の中でこれからも大切な言葉。あけまして、おめでとうございました。
2018/01/02
あのときああしてたら、の話。
最近「こうしたら良かったかな」とかって思うことが何度かあった。後悔まではいかないけれど、自分の決めたことや言動に不安になる、みたいな感じのやつ。責任を持つことが少しだけ出来なかった。
人生は選択の連続である、という言葉がある。過去の選択の積み重ねが、今の自分になるというの。
決めて断るのが決断というなら、決めた後は他がどうでもよくなるくらい夢中になる方がいいと思った。決めたのに「これもしたいし、あれもしたい」とかっていうのは、素敵なことなんだろうけれど、優先順位がつけられていないただの我儘でもある。全て中途半端に終わってしまう。
きっと完璧である必要はないんだろうけど。それなら、そのくらいの覚悟なら、言わないでくれと思う。公言せず、勝手に一人でやってくれたらいい。「でも」「だって」が出ると、そのあと言い訳が続く。言い訳を並べるくらいなら、最初から口に出さない方がいい。いつまでも言い訳ばかりでいいわけ?っていう。(駄洒落ってことに気付いて)
苦しくなったら息抜きをしたらいい。頼りたい人に何も考えず頼ったらいい。一人で抱え込んじゃうくらいなら、しんどいって言ったらいい。焦るのも分かるし、人一倍頑張ってるのも知ってる。弱さを見せるのは勇気のいることだけど、強い部分も弱い部分もあって「その人らしさ」が滲み出る。その方がずっとカッコいいし、好きだ。
この間、今とは全く別の環境で生きた自分と会ってみたいね、と話していた。違う選択をした自分と会ってみたいね、と。「あのとき、ああしていればああでこうで」と選択した時の自分を思い返す。
「あのとき」の自分が違う選択をして生きてきたら、それはある意味他人だし、もっと言えばそれが他人なんじゃないかとも思う。それなら今の自分を楽しめ、というオチの無いオチで終わる。
2017/12/10