日常を綴る

止まっているようで進んでいて進んでいるようで止まってる

自分

   

   

自分の感情が大きくなればなるほど、相手の感情が気にかかるようになった。気にかかるというより気にかける、の方が正しい表現かもしれない。

 

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人間付き合うのが一番難しくて簡単なのは自分自身なのかなと思う。

 

‌他人は自分が離れたら縁をきることだってできる。(色々大変になるかもしれないけど。)

     

一方で自分は切っても切り離すことができない。

 

そしてある意味、自分とは誰よりも長く付き合ってきたし、これからも長く付き合っていくことになる。

 

 

じゃあ向き合うべきは自分で、それと同じくらい向き合う時間を取るべきところに家族がくるんじゃないかなと思う。

 

2016/07/11

消えてくれなかった感情を整理する

今日は少し服装が派手な子がいて、周りにそういう服装をする子がいないせいなのか、その子がとても目立っていた。

 

 

「ねえ、あれ…」

「まじで無理だわ」

 「生理的に受け付けない」

 

 とかなんとか言って、周りと口を揃えて陰口を言う人が沢山見えてきた。それも、聞こえるか聞こえないかの声の大きさで陰口を次々に言う。止まらない勢いで、話す人数も次第に増えていった。多分本人にも聞こえてたんじゃないかと思う。

 

 

そう1日が今日あって、自分に向けられた言葉ではなくても悲しい気持ちが大きかった。例え他人のこととはいえ、同じコミュニティに属する人達が、こんなレベルの低い悲しい行動をしていると思うと、なかなか消えてくれなかった。

 

 

 

合う合わないっていうのが存在するのも分かるし、言動が理解出来ないとかあるのは他人だから仕方ないとは思う。

 

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ただ、それを影で言ったり、集団で馬鹿にしたりって間違ってると思う。

 

 

人としてどうなのかって話で。

相手がどう感じるかとか、少し考えればわかることでしょ。

 

 

 

陰口を言うくらいなら本人に言えばいい。

 

 

 

それが出来ないなら

まず、その感情を自分の外に出すなよ。

 

 

2016/07/06

 

 

欲張りで酔っ払い

 

私には、高校の時に本当にどんな時も支えてくれて今でもピンチの時にお助けマンになってくれるスーパー大事な人がいる。

 

 

 

少しだけ前に、何かと自分で背負いすぎてまるで背負い投げの連続技のような精神的にも体力的にもピークがやってきた。その時にスーパーお助けマンに手紙を書いた。

 

すぐに返事が欲しいわけではなく「この人に聞いて欲しい」というだけで書いた。

 

 

 

その返事が先日届いて「ああ、こんなにも大事な人の言葉は心に響くものなのか」と読みながら泣いた。厳しくも優しくもある手紙の文章が、今でも脳裏に浮かんでくる。もう本当に好き。

 

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私は何かと欲張りで、どのコミュニティに対しても強く関わろうとしていた。「中途半端な自分」が嫌で嫌で仕方ないし、自分の手抜きによって誰かに迷惑をかけるなんて、猛烈な嫌悪感を抱く以外の感情はない。

 

 

同時に「自分で頑張るって決めたなら弱音吐かずに最後までやり抜けよ。やりたくないなら最初からするなって話。やると決めたのは自分。」という感じで自分の言動に責任を持たないなんて許すまじきことだ!と思っていた。

 

 

そこに対しての考えは今も変わらないけれど、手紙の返事を読んで私は自分が「欲張りで酔っ払い」だとわかった。

 

 

「断れない」や「迷惑をかける」などの綺麗事・言い訳を並べて、仕事の全てを一気飲みしていた。流されるような意志の無い骨無し人間。

 

 

その結果、酔いがまわって動けなくなる。そして吐いたり数日間休息をとったりしなければ動けないままの状態。

 

 

そして後から「なんて迷惑な野郎だ」と落胆する。

 

 

「時間をかけてしっぽり嗜む」もしくは「強いお酒は飲まずにある程度気をつけて飲む」ようにしないといけない。酒に飲まれて記憶が無くしたとか言って迷惑をかけまくり人間なんて私はなりたくない(何の話か分からなくなってきた)

 

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結論、自分をしっかり見つめていこうって話。

 

 

2016/06/30

ゴミか武器か

 

 

意識しなければ気付かないような

小さな小さな出来事でも

ぐうううっと着目してみたら

自分にとって大きなコアなものになりかねない。

 

 

街中に溢れ出すようにある情報を

整理できずにいればゴミとなる。

ゴミが溜まると足の踏み場なんてなくなる。

どう進んでいくのかも、分からなくなる。

 

 

 

整理して適材適所で使い分けることができたら

自分の能力を倍にしてくれるような武器になる。

 

 

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と、コーヒー片手に思う。

 

2016/06/16

人間として底辺

 

何をやっても駄目だと思った。

中途半端で、迷惑かけて

じゃあ何が出来んのって聞かれても

何も出来ないって言って逃げる。

 

 

ああ、これじゃ駄目だと

改めて自分が嫌いになりそうだとなる。

 

 

だから自分を好きになれるように努力しようと思った。もっと好きな自分になろう。その為にストイックになろうと思う。甘えはいけない。

 

 

2016/06/09

日常


何があったわけない1日も
特別いいことがあった1日も
何もしたくないと虚無感しかない1日も

周囲は変わらず日常を送る。


それが唯一の救いで
なんとも言えないくらい残酷さがある。

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当たり前なことだけど
忘れずにいようと思ったこと。 

2016/06/01



自分と違うときがある

いろんなことを感じてきた
この人はこういう人なんだ、と。


嫌なトコロが見えたとしても
こんな長所だってあると言い聞かせ、
人間嫌な所だってあるさと納得させる。


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スタートが、プラスから始まる。
ある意味、全てにおいて減点方式なのかもしれない


落胆するタイミングは人より多いし
逆に言えば、凄いと感じたらパーフェクト人間と思える。


自分に対しても減点方式が多い。
もっとできるはずだ、頑張ろうと拍車をかけ
出来ないと感じた時の自己評価の低さが際立つ。


こういった不安に体を埋め尽くされ、
全てを投げ出したくなった時は
あと少しだけ時間をおこうって思い
もう少しだけ様子を見ようって考えて
ちょっと我慢する。



すぐ変わるのではなく、
ゆっくり変わっていこうとすれば
全て投げ出そうと思わなくなる。
もう少し頑張ろうという気持ちになると
二十数年間自分と付き合ってきて気付いた。



それでも、こうやって
自分の中で、全てを良いように捉えて
それが結局全て主観でしかないと足元を見た時
堪らなくつまらなく感じ、また投げ出したくなる。


と、5年前に書いた文章を読みながら感じたこと。

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他人と違うのと同じように、自分とも違うときがある。


2016/05/27